横>どうも、しっくり来ません
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2003/12/06 15:11 投稿番号: [875 / 9338]
タイプさんの参加でこのトピは確実に新局面を迎えましたね。
もっと議論を掘り下げてもらいたいです。
ここのテーマは【韓国兵がベトナム戦争時に行った残虐行為を広報しよう】というものですけど、トピが成り立つ前提として、加害者=凶暴無残な韓国兵VS被害者=無垢なベトナム農民であり、加えて韓国軍の個々の討伐行為が人間性を冒涜した異常な残虐さ、という要因が必要です。
となれば、凶悪無残な韓国兵と比べてベトナム側は(特に親切ではなくても)凶悪無残ではなかったという事実がなければなりません。
そしてタイプさん紹介のHPはどうやらそれを否定します。
まず、中国共産党のゲリラ戦略として細胞の拠点作りにベトナムの村村が侵されていったことが説明されていますが、これを読むと、例え村人の意思はどうあろうと、彼らはその場で殺されるのと引き換えにゲリラ側に味方しなければならない現実があったことが理解できます。
恐怖支配です。
ですから言い換えれば、村村はすべて村ごと正規軍の敵と認識しても大きな間違いとはいえないのです。
さらに、ある軍事評論家は、“北ベトナム軍の半数は中国人民解放軍だった。したがって停戦交渉は南北ベトナムを無視した米中で決められた”と言い切っています。
このような状況から、ベトナムゲリラが中国便衣隊の伝統をしっかり踏襲していたことは論を待たないでしょう。
下記はフランスがうけたゲリラ攻撃の一例ですが、前記のHPから抜粋します。
【行ってみると、下士官連は殺されて首を切られており、十二名の補充兵は死に、のこりは負傷していた。女どもは頭皮をはがれるか、切り裂かれるか、あるいはその両方であった。子供たちは殺されていた。女たちのひとりなど、下腹部をヘソから骨盤まで切り裂かれていたが、妊娠していて、まだ呼息があった。彼女は両手の赤ん坊を抱いていたが、その児の頭も滅多打ちにされていた。武器もラジオも影も形もなかった。すべて持ち去られたのだ。
一九五二年から五三年にかけて、コーチンで行われた戦闘は、すべて、この定石に従っていた。】
酸鼻を極めた光景は、済南、通州を思わせませんか。
ベトナムゲリラは元便衣兵から痰の吐き方、手鼻のかみ方まで倣っていたのです。
当然襲うときは、アイヤー!と叫びます。
さあ、ジャパウヨの皆様方、このトピの前提である、善良なベトナム農民、残酷ではないベトコン、という公式が崩壊しつつあります。
どうしますか、 (^m^*)クックク
今からでも遅くありません、バカの壁を早く取り払ってください!!~~\(。`∀´。メ)/~~
これは メッセージ 873 (type74jpanmbt さん)への返信です.
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