史実 ポンキー軍起因のベトナム大飢饉
投稿者: papa0720nikoniko 投稿日時: 2005/05/21 09:16 投稿番号: [7316 / 9338]
(同じアジアの民でありながら。。)
-インドシナ-
日本軍のインドシナ侵略はアジア太平洋戦争の前にさかのぼる。イン
ドシナ(フランス領インドシナを略して仏印)を支配していたフランス
が一九四〇年六月にドイツによって占領された。これを絶好の機会と考
えた日本は、九月に強引に軍隊を進駐させた(北部仏印進駐)。当時、
中国への援助物資の約半分が仏印ルートで来ていたので、これを絶つこ
と、また東南アジア侵攻の拠点を確保すること、この二つが目的だった
。さらに翌四一年七月には南部仏印進駐を強行し、インドシナ全土に日
本軍を駐留させ、東南アジア侵攻の足場を固めた。しかしこのことがア
メリカに日本への石油輸出禁止などの対抗措置を取らせ、アジア太平洋
戦争に突入する大きな原因となった。
インドシナは日本軍と仏印当局の二重支配の下におかれた。仏印当局
は民族運動を厳しく弾圧してきたが、日本軍はその仏印当局を利用して
住民からの食糧や労働力の供出をやらせ、軍事費も負担させた。インド
シナの米は日本に送られ「臭い」と言われながらも日本人の胃袋に入っ
ていった。四五年三月に日本軍が仏印当局を攻撃し、単独支配にするま
で、二重支配は続いた。
こうした中で一九四四年末から四五年にかけて、ベトナム北部で大飢
饉が発生した。農村でも都市でも人々は次々と餓死し、ハノイなどの都
市でも餓死者がころがっていたというほどだった。タイビン省だけの調
査でも人口百万人余りのうち約二八万人が犠牲になった。ベトナム全体
で一〇〇万〜二〇〇万人が餓死したと見られている。
なぜこうした大飢饉がおきたのか。大型の台風や洪水などの自然災害
による不作があったがそれだけでは説明できない。第一の原因は米の強
制的な供出である。当時、仏印にいた数万人の日本軍は二年分の食糧を
蓄えていたと言われ、仏印当局も農民から強制的に供出させた大量の食
糧を持っていた。四五年三月以降はこれらの膨大な食糧を日本軍が独占
していたが、人々には提供されなかった。第二の原因として、水田など
を潰して軍事物資であるジュート(黄麻)を植えさせたことがある。第
三に戦況の悪化などによりベトナム南部からの米が入ってこなくなった
ことが指摘されている。こうした原因を見ると、戦争遂行を第一として
いた日本軍の責任が大きいことがわかる。
こうした惨状の中で、ベトナム独立連盟(ベトミン)は「敵のモミの
倉庫を破壊して人民を救おう」と呼びかけ、日本軍の倉庫を襲い人々に
米を与えようとした。独立のための戦いが全土に広がっていった。これ
に対し日本軍は武力で鎮圧しようとしたが押しとどめることはできなか
った。。
これは メッセージ 1 (kaikakumon さん)への返信です.
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