クソポン軍のフィリピン人大虐殺を教えよう
投稿者: papa0720nikoniko 投稿日時: 2005/05/16 18:44 投稿番号: [7273 / 9338]
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フィリピン(上)
一六世紀から始まるスペインによる植民地支配に対して、一八九六年
フィリピン革命が始まり九九年にはフィリピン共和国を樹立した。しか
しスペインにかわって介入してきたアメリカ軍によって鎮圧され、アメ
リカの植民地にされてしまった。しかし植民地を持つことについてアメ
リカ国内でも批判が強く、アメリカはフィリピンのアメリカ化を進める
一方、一九三五年フィリピン・コモンウェルス政府(独立準備政府)が
樹立され、一九四六年に独立することが約束された。
そうしたところに日本軍が侵攻したのである。ケソン大統領はいち早く
脱出してアメリカに亡命政府を建てた。またフィリピンとアメリカの軍
隊の連合隊である米比軍(ユサッフェ)司令官マッカーサーも「私は必
ず帰るI shall return」という有名な言葉を残して脱出した。
一九四二年四月バターン半島、五月コレヒドール島の陥落により主な
戦闘は終わった。この時日本軍は約七万六千人を捕虜にしたが、彼らに
ろくに食糧や水を与えないまま炎天下を歩かせ、収容所に着くまでに約
一万七千人が死亡した。これは「バターン死の行進」と呼ばれ、日本軍
の残虐さを表す象徴的な出来事とされている。
しかしその後、各地でユサッフェ・ゲリラが組織されその数は三〇数
万人にのぼった。ほかにフィリピン共産党が組織したゲリラ組織フクバ
ラハップがあった。ルソン島中部を拠点として日本軍追放と農地解放を
掲げて住民を組織し、常備軍二万人、在郷軍三万人と言われる強力なゲ
リラ活動をおこなった。
フィリピンを占領した日本軍は政党を禁止し代わりにカリパピ(新生
フィリピン奉仕団)を組織させ、地域の末端には隣組を作らせて、住民
相互に監視させた。憲兵による拷問・虐待はフィリピンでも恐れられた
。日本兵による強姦掠奪などの非行も頻繁におこった。このことは陸軍
中央の会議でも「比島方面においても強姦多かりし」と東南アジア方面
では最も日本軍による強姦事件が多いとくりかえし問題にされるほどだ
った。ただ「支那事変に比すれば少い」とされており、中国でのひどさ
が推測される。
ところでフィリピンは重要な資源が少なく、日本軍にとっては東南ア
ジアへの中継地として軍の行動の自由が確保されればよかった。またす
でにアメリカによって独立が約束されており軍政を続けることは都合が
悪かった。そうしたことからフィリピンの独立を認め、一九四三年一〇
月にフィリピン共和国が成立した。しかし「帝国軍隊の為一切の便宜を
供与」させられ、日本軍による支配に変わりはなかった。フィリピン独
立準備委員会(PCPI)は、「どうぞフィリピンの独立を取り消して
くださいPlease Cancel Philippine Independence」と皮肉られるほどだった。
これは メッセージ 1 (kaikakumon さん)への返信です.
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