「南京事件」関連(私見ですが)
投稿者: pesiticider 投稿日時: 2005/03/28 12:09 投稿番号: [6840 / 9338]
>護送途中で(アクシデントから)無差別に掃射されたな
「幕府山砲台」跡地に収容されていた中国兵捕虜が何人いたかについては諸説がありますが、だいたい少ない方で8000人、最高に見積もっても1万4000人というところですよね。しかも捕虜移送中に揚子江の対岸から「中国軍」の発砲があり、「日本軍」兵士がそれに対応している間に約半数の捕虜が逃亡したというのでしょう。一方この混乱の中でアクシデンタルに3000人余りの捕虜が射殺され、河岸は凄絶な光景だったとの証言がありますね。これがいわゆる世にいわれている「南京大虐殺」の真相なのではないでしょうか。もちろん「南京攻防戦」で死亡した「中国軍」兵士もいたでしょうし、「便衣兵」狩りで捕まり処刑された人もいたでしょうが、そういうのは虐殺被害者とは呼べませんからね。さらに「南京攻防戦」後、不良兵士が南京市内で起こした個別の不祥事が、「南京大虐殺」というような規模のものではないことは申すまでもありません。
>東京裁判ではマギー神父だったかな、目撃者として出廷してるはず
「東京裁判」の記録を見ますと、「法廷」に出廷したマギー神父の証言では、神父が直接目撃した日本兵による中国人殺害と思しき事件は、たった一件だけで、それも警邏中の日本兵に呼び止められて逃走を計った中国人が撃たれたというものでしょう。
これをもって、「南京大虐殺」の証拠というには無理があるのではないでしょうか?
>ところで「ザ レイプ オブ ナンキン」ってアイリス・チャンの造語ではないんだってな
“The Rape of Nanking”という言葉は、「東京裁判」の中で登場してきた言葉ですね。それが、なぜ1990年代後半に復活してきたかというと、次のような事情があったからです。
話は少し遡りますが、1989年6月4日の「天安門事件」後、「民主派」の趙紫陽「総書記」が失脚し、「守旧派」に擁立された江沢民が「総書記」の座に就任すると、「天安門事件」に代表されるような「民主化運動」の過激化による「共産党一党独裁体制」崩壊、それに伴い起こり得る「国内分裂」を防ぐ目的で、反日的傾向の強い「愛国主義政策」が採用されることになったことは御承知のことと思います。特に1993年に楊尚昆「国家主席」の引退により、江沢民が「国家主席」の座に就いてからは、その傾向が一段と強まり、1994年に「反日宣伝」の核となる国際的組織として、「世界同盟」が結成され、その一翼を担う「南京連盟」が、大々的に「南京大虐殺」キャンペーンを展開することになりました。「南京連盟」は、当時「蚕の糸」を発表し社会派作家としてデビューしていた「シカゴ・トリビューン」出身の中国系アメリカ人アイリス・チャンに白羽の矢を立て、これを「中国政府」の広告塔とすべく接近し、多数の資料なども提供して「The Rape of Nanking」を書くよう仕向けました。出版に際しても、1997年10月26日の歴史的な「江沢民演説」(江沢民主席は真珠湾を訪問し、「中国とアメリカは、共に残虐な侵略者日本を敵として戦った同盟国」という内容の演説を行なう)にタイミングを合わせ、その直後の同年11月に「南京連盟」とも所縁のある「Basic Books社」から発刊。さらに予てからの段取りどおり、「南京連盟」主催で、アイリス・チャンを「プリンストン大学」に招いて、「南京一九三七国際会議」(1997.11.17〜11.22)を開催し、一躍アイリスをスターに仕立て上げました。
これに呼応し、東京でも「南京大虐殺六十年東京国際シンポジウム」(1997.12.13〜12.14)が開催されたことは記憶に新しいところです。なおこの「シンポジウム」には「中国帰還者連絡会」「日本の戦争責任資料センター」「南京事件調査研究会」「歴史教育協議会」など露骨な親中派組織(中には「CSIS」の工作機関と考えられているものも含まれている)錚々たる有名人士の他、「中国政府」の情宣関係者も顔を揃えていました。
こうして「南京事件60周年」に狙いを定めた「江沢民政権」の大プロパガンダのキーワードとして、“The Rape of Nanking”という「東京裁判」以来の言葉は、装いも新たに復活したのでした。
>混血児の少ないのは犯した後で殺したほかに、中国人の胎児習慣、間引きで説明できる。
当時の「紅卍会」の埋葬記録を見ますと、4万3071人の埋葬者の大半が成人男子となっていますが・・・
このことは多くの研究者によって、埋葬者の大半が兵士であったことを示すものと解釈されているのですが・・・
「幕府山砲台」跡地に収容されていた中国兵捕虜が何人いたかについては諸説がありますが、だいたい少ない方で8000人、最高に見積もっても1万4000人というところですよね。しかも捕虜移送中に揚子江の対岸から「中国軍」の発砲があり、「日本軍」兵士がそれに対応している間に約半数の捕虜が逃亡したというのでしょう。一方この混乱の中でアクシデンタルに3000人余りの捕虜が射殺され、河岸は凄絶な光景だったとの証言がありますね。これがいわゆる世にいわれている「南京大虐殺」の真相なのではないでしょうか。もちろん「南京攻防戦」で死亡した「中国軍」兵士もいたでしょうし、「便衣兵」狩りで捕まり処刑された人もいたでしょうが、そういうのは虐殺被害者とは呼べませんからね。さらに「南京攻防戦」後、不良兵士が南京市内で起こした個別の不祥事が、「南京大虐殺」というような規模のものではないことは申すまでもありません。
>東京裁判ではマギー神父だったかな、目撃者として出廷してるはず
「東京裁判」の記録を見ますと、「法廷」に出廷したマギー神父の証言では、神父が直接目撃した日本兵による中国人殺害と思しき事件は、たった一件だけで、それも警邏中の日本兵に呼び止められて逃走を計った中国人が撃たれたというものでしょう。
これをもって、「南京大虐殺」の証拠というには無理があるのではないでしょうか?
>ところで「ザ レイプ オブ ナンキン」ってアイリス・チャンの造語ではないんだってな
“The Rape of Nanking”という言葉は、「東京裁判」の中で登場してきた言葉ですね。それが、なぜ1990年代後半に復活してきたかというと、次のような事情があったからです。
話は少し遡りますが、1989年6月4日の「天安門事件」後、「民主派」の趙紫陽「総書記」が失脚し、「守旧派」に擁立された江沢民が「総書記」の座に就任すると、「天安門事件」に代表されるような「民主化運動」の過激化による「共産党一党独裁体制」崩壊、それに伴い起こり得る「国内分裂」を防ぐ目的で、反日的傾向の強い「愛国主義政策」が採用されることになったことは御承知のことと思います。特に1993年に楊尚昆「国家主席」の引退により、江沢民が「国家主席」の座に就いてからは、その傾向が一段と強まり、1994年に「反日宣伝」の核となる国際的組織として、「世界同盟」が結成され、その一翼を担う「南京連盟」が、大々的に「南京大虐殺」キャンペーンを展開することになりました。「南京連盟」は、当時「蚕の糸」を発表し社会派作家としてデビューしていた「シカゴ・トリビューン」出身の中国系アメリカ人アイリス・チャンに白羽の矢を立て、これを「中国政府」の広告塔とすべく接近し、多数の資料なども提供して「The Rape of Nanking」を書くよう仕向けました。出版に際しても、1997年10月26日の歴史的な「江沢民演説」(江沢民主席は真珠湾を訪問し、「中国とアメリカは、共に残虐な侵略者日本を敵として戦った同盟国」という内容の演説を行なう)にタイミングを合わせ、その直後の同年11月に「南京連盟」とも所縁のある「Basic Books社」から発刊。さらに予てからの段取りどおり、「南京連盟」主催で、アイリス・チャンを「プリンストン大学」に招いて、「南京一九三七国際会議」(1997.11.17〜11.22)を開催し、一躍アイリスをスターに仕立て上げました。
これに呼応し、東京でも「南京大虐殺六十年東京国際シンポジウム」(1997.12.13〜12.14)が開催されたことは記憶に新しいところです。なおこの「シンポジウム」には「中国帰還者連絡会」「日本の戦争責任資料センター」「南京事件調査研究会」「歴史教育協議会」など露骨な親中派組織(中には「CSIS」の工作機関と考えられているものも含まれている)錚々たる有名人士の他、「中国政府」の情宣関係者も顔を揃えていました。
こうして「南京事件60周年」に狙いを定めた「江沢民政権」の大プロパガンダのキーワードとして、“The Rape of Nanking”という「東京裁判」以来の言葉は、装いも新たに復活したのでした。
>混血児の少ないのは犯した後で殺したほかに、中国人の胎児習慣、間引きで説明できる。
当時の「紅卍会」の埋葬記録を見ますと、4万3071人の埋葬者の大半が成人男子となっていますが・・・
このことは多くの研究者によって、埋葬者の大半が兵士であったことを示すものと解釈されているのですが・・・
これは メッセージ 6836 (hendazo04 さん)への返信です.