●●●糞チョントピ上げるな●●●
投稿者: gook_ggggg_gook 投稿日時: 2004/05/15 12:29 投稿番号: [3563 / 9338]
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=820269&work=list&st=&sw=&cp=8
家畜ちゃん
世界の落第生となり中国と日本の経済的隷属国になるのか、それとも奮い立って千年ぶりに名実共、独立国家となる夢を再び追うのか。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/05/05/20040505000038.html
◎韓国朝鮮人の過短頭 (横から見た図)
プ / ̄ ̄|
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|/ C|
/ > | ←ゼッペキ頭で 耳から後ろがない!
~|___ |
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最下位にランクされた中国人が「ハングオレン」と言ってさらに見下していたのが朝鮮人だった。ハングオレンとは「韓国人」の中国語読みである。日本は明治末、その朝鮮を併合した。そのころの朝鮮は道路も下水も満足な学校もなかった。あるのは儒教原理主義に基づく強烈な身分差別で最上層の両班はともかく小作人やその下の奴婢は人権もなかった。
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「全員帰国を達成せよ」
狭義の)在日コリアンが移入した理由
狭義の在日コリアンが日本に移入してきた理由として、在日コリアン自身の中から「戦時下の日本政府による徴用/強制連行」が主であると証言する声があり、そういう認識が従来主流を占めていた。
しかし、資料に基づいた調査を行った者の多くが、移入の主な理由を「戦時下の日本政府による徴用/強制連行」以外とする見解を唱えている。具体的には、自由意思による渡航者とその子孫、戦後の不法密入国者とその子孫が大半を占めると見解が中心である。そして、当時朝鮮半島内においても、済州島出身者に対する差別や、当時「白丁」と呼ばれていた被差別階級民に対する過酷な差別があり、これらの人々は同胞の厳しい差別に耐えかねて、やむをえず日本へと渡航したという事情もあったようである。
1974年の法務省編「在留外国人統計」によれば、在日韓国・朝鮮人の日本上陸は昭和16〜19年の間は1万4514人。「国民徴用令」による徴集は19年の9月以降の僅か4ヵ月間であるから、単純に計算しても、この期間に徴用された者は、昭和16〜19年間の1万4514人の12分の1、つまり1210人ほどにすぎない。「昭和20年9月1日以前」は679名であり、それを加えた概算1889人ほどが、真に徴用の名に値する在日朝鮮人だという事になる。仮に「官あっせん」を徴用の概念の中に入れ、官あっせんが行われていた昭和17年2月~19年8月の来日者の推計数を全部加えても、約1万1300人ほどである。
昭和20年8月終戦当時の 在日朝鮮人の全人口は約210万人ほど(同統計上では63万8806人うち来日時期不明54万3174人)であったとされる。
彼らの多くは日本の一般社会との交流に乏しく、港湾や鉱山、工場などでの労働で生活してきた。そのため、日本語を話すことも出来ず、日本で生活していく基盤は脆弱であった。大部分の人々は終戦後早々に故郷へ帰ってしまったとしても不思議はなかったはずであるが、その彼らが終戦後も日本に定住するに至ったにはいくつかの要因が挙げられる。
裸一貫で来日し、帰国するにも渡航費用も用立てられなかった人々が多かったのではないかという説
朝鮮戦争による南北分断の混乱や、1947年まで続いた財産の持ち出し制限の影響
韓国政府による「棄民政策」、すなわち社会的な混乱のため帰国事業を放棄してしまったこと
ある程度日本での生活ができあがっていた人々は、帰ろうにも故郷に生活基盤が残っていなかった
戦後、日本にはGHQから「全員帰国を達成せよ」という指令があったとされ、希望者に帰国のための船便を提供するなどの働きかけがあったようである
家畜ちゃん
世界の落第生となり中国と日本の経済的隷属国になるのか、それとも奮い立って千年ぶりに名実共、独立国家となる夢を再び追うのか。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/05/05/20040505000038.html
◎韓国朝鮮人の過短頭 (横から見た図)
プ / ̄ ̄|
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最下位にランクされた中国人が「ハングオレン」と言ってさらに見下していたのが朝鮮人だった。ハングオレンとは「韓国人」の中国語読みである。日本は明治末、その朝鮮を併合した。そのころの朝鮮は道路も下水も満足な学校もなかった。あるのは儒教原理主義に基づく強烈な身分差別で最上層の両班はともかく小作人やその下の奴婢は人権もなかった。
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「全員帰国を達成せよ」
狭義の)在日コリアンが移入した理由
狭義の在日コリアンが日本に移入してきた理由として、在日コリアン自身の中から「戦時下の日本政府による徴用/強制連行」が主であると証言する声があり、そういう認識が従来主流を占めていた。
しかし、資料に基づいた調査を行った者の多くが、移入の主な理由を「戦時下の日本政府による徴用/強制連行」以外とする見解を唱えている。具体的には、自由意思による渡航者とその子孫、戦後の不法密入国者とその子孫が大半を占めると見解が中心である。そして、当時朝鮮半島内においても、済州島出身者に対する差別や、当時「白丁」と呼ばれていた被差別階級民に対する過酷な差別があり、これらの人々は同胞の厳しい差別に耐えかねて、やむをえず日本へと渡航したという事情もあったようである。
1974年の法務省編「在留外国人統計」によれば、在日韓国・朝鮮人の日本上陸は昭和16〜19年の間は1万4514人。「国民徴用令」による徴集は19年の9月以降の僅か4ヵ月間であるから、単純に計算しても、この期間に徴用された者は、昭和16〜19年間の1万4514人の12分の1、つまり1210人ほどにすぎない。「昭和20年9月1日以前」は679名であり、それを加えた概算1889人ほどが、真に徴用の名に値する在日朝鮮人だという事になる。仮に「官あっせん」を徴用の概念の中に入れ、官あっせんが行われていた昭和17年2月~19年8月の来日者の推計数を全部加えても、約1万1300人ほどである。
昭和20年8月終戦当時の 在日朝鮮人の全人口は約210万人ほど(同統計上では63万8806人うち来日時期不明54万3174人)であったとされる。
彼らの多くは日本の一般社会との交流に乏しく、港湾や鉱山、工場などでの労働で生活してきた。そのため、日本語を話すことも出来ず、日本で生活していく基盤は脆弱であった。大部分の人々は終戦後早々に故郷へ帰ってしまったとしても不思議はなかったはずであるが、その彼らが終戦後も日本に定住するに至ったにはいくつかの要因が挙げられる。
裸一貫で来日し、帰国するにも渡航費用も用立てられなかった人々が多かったのではないかという説
朝鮮戦争による南北分断の混乱や、1947年まで続いた財産の持ち出し制限の影響
韓国政府による「棄民政策」、すなわち社会的な混乱のため帰国事業を放棄してしまったこと
ある程度日本での生活ができあがっていた人々は、帰ろうにも故郷に生活基盤が残っていなかった
戦後、日本にはGHQから「全員帰国を達成せよ」という指令があったとされ、希望者に帰国のための船便を提供するなどの働きかけがあったようである
これは メッセージ 1 (kaikakumon さん)への返信です.