デモの詳細
投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2004/01/21 15:14 投稿番号: [1725 / 9338]
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/indonesia/suharuto_no_sintitujo.html
1973年10月、第4次中東戦争がきっかけで「石油ショック」が発生すると、インドネシアの石油収入も急増、国家財政は豊かになり、かなりの経済成長を示しました。
中でもイブヌ・ストウォ総裁率いる国営石油会社プルタミナは、インドネシアの稼ぎ頭として急速に発展し、「国家の中の国家」と呼ばれるまでに強大化し、政府のコントロールも及ばないほどになります。
スドノ・サリム、ボブ・ハッサン、プラヨゴ・パンゲストゥといった華僑系の政商(チュコン)も、好景気の中で頭角を現してきました。彼らはスハルト大統領と癒着し、莫大な利益を得ました。
スハルト自身も、財団設立というサイド・ビジネスに精を出しました。
与党ゴルカル支援のカルヤ・バクティ奉仕財団(ダカブ財団)、人道援助のゴトン・ロヨン財団、孤児、浮浪者、身体障害者を援助するダルマイス社会奉仕財団、奨学金支給のスーパースマール財団、宗教活動を支援するパンチャシラ・ムスリム奉仕財団……これらは人々から半ば強制的に寄付を徴収しました。
財団の運営はスドノ・サリム、ボブ・ハッサンらスハルトの「御友人」に任されます。莫大な寄付金の一部はスハルトの財布に、一部は華僑財閥の投資に流れたのです。
そんな最中の1974年1月15日、日本の田中角栄首相がインドネシアを訪問した時、ジャカルタ中心部で「マラリ事件」と呼ばれる反日暴動が起きました。
インドネシア政府高官やプルタミナのストウォ総裁、華人実業家らが日本企業と癒着していることに対し、学生、知識人、プリブミ(非華人系現地人)実業家が怒りを爆発させたことが原因ですが、その裏には国軍内の権力闘争が絡んでいました。
当時、大統領個人補佐官アリ・ムルトポ少将は、スハルトの私的な特務機関として「特別工作班」を率い、デモや暴動の準備、野党の集会破りなど、様々な情報操作・破壊工作に携わっていました(活動資金はサリム、アストラなど華人財閥が供給)。
闇の勢力である彼らと敵対するスミトロ国軍副司令官ら国軍司令部グループは、反日デモを組織し、親日派と言われるアリ・ムルトポを失脚させようと謀りました。しかしそれが暴動に火を付ける結果となったのです。
事件後、失脚したのはスミトロの方でした。
で?なにか?
これは メッセージ 1721 (hendazo04 さん)への返信です.
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