Re: 土下座降伏しなければ本土決戦だった。
投稿者: japanpoors 投稿日時: 2009/11/26 19:50 投稿番号: [108 / 124]
自殺命令
国家総武装ということで●義勇兵役法が6月に公布され、男子は15歳から60歳(当時の男子平均寿命46.9歳)、女子17歳から40歳までが召集された[3]。これら一連の動員は「根こそぎ動員」と呼ばれた。
根こそぎ動員は、大きく3回に分けて実施された。
1945年2月28日に臨時動員が下令された第1次兵備
4月2日と6日にかけて臨時動員が下令された'第2次兵備
5月23日に動員下令された第3次兵備
である。日本軍は、米軍が本土に侵攻してくる時期を1945年秋と予測していた。当時の敵情分析をした書類には、
わが本土攻略開始時期、方面及び規模などはなお予断を許さないが、わが、空海武力の打倒、空海基地の推進、日満支の生産及び交通の徹底的に破壊などにより戦争遂行能力の打倒し、大陸と本土との兵力機動を遮断し、そのうえ、十分な陸兵を集中指向を整えたのち、決行するのが至当な順序であろう。その時期は今後の情況により変化するが、本年秋以降は特に警戒を要するものと思考する
とされており、●米軍の日本本土侵攻のスケジュールとほぼ一致していた。
これらの動員によって、一般師団40個、独立混成旅団22個など約150万人近くが動員された。日本軍は、前述の時期を念頭に部隊の編成を実施した。しかし、期間や物資の制限から最終的には、兵力や装備が不足していても、編成が完結したと見なす方針が取られた。そのため、これらの師団は結局中途半端な人員・装備のままで配備されていった。加えて満州や北方からの転用された部隊も、逐次同様に本土に配備された。
これは メッセージ 102 (numbergl さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/2qdehma4ngr8wbba4bbf7aafaha4b_1/108.html