鶴富屋敷
投稿者: rie2389 投稿日時: 2012/04/28 06:30 投稿番号: [6233 / 6355]
今回は源平物最終章として、平家の落人を
鶴富屋敷
壇ノ浦で破れ、散りじりとなった平家一門は
西国各地の山中に身を潜め、源氏の追撃を
振り切るのに心を砕いていた
日向の国、椎葉の村にもそんな平家の一団が
落ち延びて来た、武器は持たず着の身着のままの
あの栄華を謳歌した平家一門とは思えぬ寂しい姿で
あった
村人は彼等を温かく迎え入れた、京言葉を話し
穏やかな物腰の平家の人々は、村人に警戒心を
抱かせなかった
慣れぬ農耕を習い、静かな日々を送っていたのである
しかし、平家の残党椎葉にありの報は鎌倉の
頼朝の元に伝えられ、追討の軍勢が日向の地を
目指し鎌倉を出発したのであった
総大将を務めるのは、那須の大八郎宗久(むねひさ)
屋島の合戦で見事扇を射抜き、一躍天下に名を
轟かせた那須の与一、宗隆の弟である
宗久が椎葉に入ってみると、武将達の姿は無く
ひなびた農村が点在しているだけであった
これを見た宗久は配下の者に下知をする
皆の者、よく見るがよい
我等に手向かう者誰一人おらぬ
かくも穏やかに過ごせし者を
討ち果たすは如何にも忍びない
されば、落人追討は取り止めと致す!
待たれよ御大将、それにては鎌倉殿の
御意向に逆らう仕儀と相成りまする
構わぬ!
鎌倉へは無事討伐致せりと
書状を送れば、事無きを得よう
宗久は討伐を断念すると、平家の落人と共に椎葉に
定住するのを決意する、彼等と共に田を耕し平氏の
霊を弔う神社を建て村人からも信望を集めていた
清盛の血を引く鶴富姫との出会いもそんな折であった
二人は深く愛し合い、将来を誓う仲となったが
頼朝の再三の帰国命令によりせんなき別れを
強いられる
この時すでに鶴富姫の身体には子供が宿っていた
別れに当たり宗久は
万一男子ならば共に我本領、下野の国
(栃木県)へ
参るがよかろう
但し女子であれば、そなたがこの地で育てるがよい
そう言い残すと名刀、天国丸を手渡し鎌倉へ
旅立って行った、見送る鶴富姫の心は揺れていた
今すぐ追って行きたい
愛する人と共に
鎌倉へ行きたい
しかしそれは叶わぬ願いであった、落人の娘と
鎌倉に姿を見せれば、宗久に災いが掛るは必定
例え今生の別れと言え宗久の身を案じ、別離の
悲しさに耐える他はなかった
やがて姫が産んだのは女子であった
約束通り椎葉の地で育て、成人するに及んで
婿を迎えると、那須下野守と愛しい宗久の名を
付けたのである
鶴富姫が住んだと言われる鶴富屋敷は、今でも
残存し文化財にも指定され、多くの観光客が
鶴富姫と宗久の悲恋を偲んで、毎日のように
訪れている
これは メッセージ 1 (bei*wol*11*jp さん)への返信です.
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