何故、嫌いな日本人に成り済ますのか?

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静御前

投稿者: rie2378 投稿日時: 2012/04/14 06:24 投稿番号: [6224 / 6355]
今回は義経との悲恋でお馴染みの、静御前を

        静御前

文治二年三月   義経と吉野山での雪中の別れを
余儀なくされた静御前は、京に戻る途中
捕らえられ鎌倉へ護送された

鎌倉での詮議は厳しかった、義経の行方を
追及する官使の夜を徹しての詰問が続けられた

しかし静は頑として口を割らなかった

判官殿は何れにおわす!
そなたが知らぬ筈はあるまい

素直に申されるがよい!

何れにおわすのか、この静(しずか)より
聞きとう御座います

吉野の御山にては、何も聞かされておりませぬ

幾度繰り返しても埒があかず、とうとう根負けを
している

そんな折、北条政子のたっての願いで鶴岡八幡宮の
回廊で舞いを奉納する事になった、頼朝初め
鎌倉幕府の主だった重臣達も顔を揃えている

静(しずか)は穏やかに、そして華麗に舞った

吉野山   峰の白雪践み分けて   入りにし人の
跡ぞ恋しき   

しづやしづ   しづのをだまき繰り返し  
昔を今に、なすよしもがな

義経を慕い別離を悲しむ舞であった、さすがは
都随一の白拍子、重臣達を始め見物に訪れた人々は
感動の余り、感涙にむせんだという

しかし、頼朝は激怒した

鎌倉を鎮府する八幡宮の回廊で事もあろうに
謀反人を慕う舞いを舞うとは

許せぬ   誰ぞ静の首を跳ねて参れ!

静に同情していた政子は、頼朝を諌める

佐(すけ)殿、それはなりませぬ
考えても御覧なされ

静御前は九朗殿を、命を賭けて慕うておりまする
憶えておいでか、伊豆で謀反人として流罪の佐殿を
この政子がどれだけ案じたか、あれと同じ事

誉めこそすれ、命を奪うなどとは
正気の沙汰とは思われませぬ

この政子の諫言は頼朝の心を打った、自分の
非を詫び、静には褒美に花襲の衣を届けている

しかし、静の受難はこれだけではなかった

身篭っていた静が男子を出産した為、直ちに
由比浜に捨てられてしまったのである、

赤子を離そうとしない静の手元から剥ぎ取る
ように奪われていった

静は我が身の定めを嘆いた、義経の形見を失い
母としての哀しみは大きかった

その後放免された静(しずか)は、矢も盾も
たまらず、義経を追い奥州に向って行った

しかし途中で力尽き、岩代の国にて池に身を投じ
生涯を閉じている

当代随一の舞の名手静御前と、天才武将義経の
悲恋は都はおろか、諸国に知れ渡り各所に
静御前の足跡が残されている

義経を巡る女達の中でも、最も悲哀に包まれた
静御前、享年二十一歳であった
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