何故、嫌いな日本人に成り済ますのか?

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壇ノ浦

投稿者: rie2378 投稿日時: 2012/03/31 06:32 投稿番号: [6214 / 6355]
以前投稿したような気もしますが、流れなので
再稿します

        決戦 壇ノ浦

屋島での合戦に敗れた平氏一門は、関門海峡近くの
小島、彦島に辿り着く

体制を立て直し最後の戦いに、望みを繋いだのである

文治元年三月二十四日早朝、追ってきた義経を
始めとする源氏勢との雌雄を決する壇ノ浦
最終決戦の火蓋が切って落とされた

平氏の擁する軍船は五百隻余り、一方源氏方は
八百五十隻に及んだ

緒戦は潮の流れに乗った平氏が優勢に戦いを
進め、源氏は苦戦を強いられていた
しかし天才武将義経はしたたかであった

皆の者、船頭に矢を射かけよ、他は捨て置け!

この義経の機略で、船頭に狙いを定め矢を射掛けると
たちまち形勢は逆転していった

船頭を失った平家の軍船は行き場を失い、海上を
彷徨するばかり、この機を逃さず平家の軍船に
乗り込んだ源氏勢は、次々に斬りかかり平家方は
大混乱に陥ってしまった

勝敗の行方は、これにてほぼ決着を見のである

平氏の総大将宗盛を助けて、軍勢を取り仕切っていた
勇将知盛(とももり)が再び浮上せぬよう
鎧を二重(ふたえ)に着込んで

見るべき物は、すべて見た

と言い残し海中に沈んでは、壇ノ浦の戦いも
終結を迎えたのであった

もう一つの戦いも、やがて終わろうとしていた

清盛の正室、二位ノ尼は自らの孫、安徳天皇を
胸に抱き(いだき)舟縁にと進んでいた

数え歳八歳の安徳天皇は、いぶかしげに二位ノ尼に
御尋ねになる

尼御前、私をどこに連れていくのか

二位ノ尼は答えて

御心配には及びませぬ
波の下にも、都はありましょうほどに

安徳天皇を抱いて海中に身を投じ、海の藻屑と
消えてしまったのである、これに続いて建礼門院
それに女官、女御達が次々に身を投げていった

海上はさながら阿鼻叫喚の様相を呈していた
浮き上がり泣き叫ぶ女御達、これを熊手にて
捕らえんとする源氏の郎党

建礼門院も海上より引き上げられ、奇跡的に
一命を取り止めたのであった

助け出された建礼門院は、その後髪を下ろし
大原の地に庵を結ぶと、二十八年もの永きに渡って
我が子安徳天皇と平家一門の霊を弔い、読経三昧の
日々を送った

この壇ノ浦での勝利で、義経の輝きは最高潮に達し
京に凱旋した天才武将を、都人は大いなる喝采を
持って迎えた

しかし、これを最後に運命が暗転していくのを
義経自身知る由もなかった
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