九郎判官
投稿者: rie2378 投稿日時: 2012/01/21 06:09 投稿番号: [6145 / 6355]
大河ドラマは少し描写が暗いようです
まあリアルさを強調していると思えば
納得ですが
今回も源平物を
九郎判官
兄上は何故この九郎の気持ちが御分かりに
成らぬ、二心無き物を
梶原景時の讒言により、謀反の恐れありと疑われ
義経とその一行は京を離れ吉野の山に逃れていた
腰掛状を始め、何度弁明の書状を送っても頼朝から
許しが出ない、
御曹司、いずれ鎌倉殿も御分かりになります
お二人は腹違いとはいえ、血を分けた御兄弟
必ずやお許しも頂けましょう
傍らに控える弁慶の慰めも、何故か虚ろに聞こえる
思えば文治元年三月、壇ノ浦で平家を打ち破り
栄光の座にあってより僅か数ヶ月、一転追われる
身となってしまった
京にあって後白河法王の寵愛を受けるも武家勢力を
代表する頼朝と、法王との確執の渦に巻き込まれ
さすが戦さの天才も、政治力に疎い義経は弾き
飛ばされてしまった
かくなる上は、藤原の殿の元へ参りましょうぞ
彼の地までは鎌倉殿も追っては来ますまい
伊勢の三郎が進言する
うむ、藤原の都は良き所じゃ、殿も御壮健であろうか
弁慶、そちの所存は?
いかにも三郎殿の申す通り、ここは一旦平泉に退き
力を蓄え、いずれ又京に登られるのが得策かと
相分かった、これより我等一同は北陸道を進み
平泉を目指す事とする
文治三年、一行はようやく懐かしい藤原京に辿り着く
義経十五歳の折 鞍馬山を出て兄頼朝の旗揚げに
参じるまでの、六年間を過ごした思い出の地
しかし、義経を我子のように慈しんでくれた当主
藤原秀衝は、既に死期を迎えようとしていた
秀衝は死出の旅に向かう際、三人の息子達に
よいか、このわし亡き後は御曹司を当主となし
鎌倉殿より御守りせよ、鎌倉勢は一兵たりとも
入れてはならぬ
義経は幼くして父(義朝)をなくし、父親の愛情を
知らない、秀衝をまことの父のように慕っていた
殿、御気を確かに、この九郎、尾屋形様より
受けた御温情、終生忘れませぬ
今一度九郎と共に、駒(うま)を走らせましょうぞ
義経の願いも届かず、秀衝は帰らぬ人となった
義経は溢れる涙をこらえようともせず、ただ声を
殺して泣くばかりだった
この後、嫡男泰衝の裏切りに会い文治五年四月
衣川の合戦に敗れ自刃 享年三十一歳
数々の武勲を立てた義経、しかし兄頼朝の猜疑を受け
無念にもその命を散らしてしまった
人々は彼の余りに無情な死を悼み、後にジンギス
ハーン、義経といういわゆる義経伝説を作った
のである
彼ほど日本各地に伝説が残っている武将も珍しい
西は壇ノ浦から北は奥州平泉まで、討伐の遠征あり
逃亡の道行きあり
それぞれに多くの逸話を残しながら、今も愛され
続ける義経、それは日本人の心の琴線に触れる
ものがあるからかも知れない
義経の夢は破れし衣川 護る(まもる)弁慶
仁王立ち
まあリアルさを強調していると思えば
納得ですが
今回も源平物を
九郎判官
兄上は何故この九郎の気持ちが御分かりに
成らぬ、二心無き物を
梶原景時の讒言により、謀反の恐れありと疑われ
義経とその一行は京を離れ吉野の山に逃れていた
腰掛状を始め、何度弁明の書状を送っても頼朝から
許しが出ない、
御曹司、いずれ鎌倉殿も御分かりになります
お二人は腹違いとはいえ、血を分けた御兄弟
必ずやお許しも頂けましょう
傍らに控える弁慶の慰めも、何故か虚ろに聞こえる
思えば文治元年三月、壇ノ浦で平家を打ち破り
栄光の座にあってより僅か数ヶ月、一転追われる
身となってしまった
京にあって後白河法王の寵愛を受けるも武家勢力を
代表する頼朝と、法王との確執の渦に巻き込まれ
さすが戦さの天才も、政治力に疎い義経は弾き
飛ばされてしまった
かくなる上は、藤原の殿の元へ参りましょうぞ
彼の地までは鎌倉殿も追っては来ますまい
伊勢の三郎が進言する
うむ、藤原の都は良き所じゃ、殿も御壮健であろうか
弁慶、そちの所存は?
いかにも三郎殿の申す通り、ここは一旦平泉に退き
力を蓄え、いずれ又京に登られるのが得策かと
相分かった、これより我等一同は北陸道を進み
平泉を目指す事とする
文治三年、一行はようやく懐かしい藤原京に辿り着く
義経十五歳の折 鞍馬山を出て兄頼朝の旗揚げに
参じるまでの、六年間を過ごした思い出の地
しかし、義経を我子のように慈しんでくれた当主
藤原秀衝は、既に死期を迎えようとしていた
秀衝は死出の旅に向かう際、三人の息子達に
よいか、このわし亡き後は御曹司を当主となし
鎌倉殿より御守りせよ、鎌倉勢は一兵たりとも
入れてはならぬ
義経は幼くして父(義朝)をなくし、父親の愛情を
知らない、秀衝をまことの父のように慕っていた
殿、御気を確かに、この九郎、尾屋形様より
受けた御温情、終生忘れませぬ
今一度九郎と共に、駒(うま)を走らせましょうぞ
義経の願いも届かず、秀衝は帰らぬ人となった
義経は溢れる涙をこらえようともせず、ただ声を
殺して泣くばかりだった
この後、嫡男泰衝の裏切りに会い文治五年四月
衣川の合戦に敗れ自刃 享年三十一歳
数々の武勲を立てた義経、しかし兄頼朝の猜疑を受け
無念にもその命を散らしてしまった
人々は彼の余りに無情な死を悼み、後にジンギス
ハーン、義経といういわゆる義経伝説を作った
のである
彼ほど日本各地に伝説が残っている武将も珍しい
西は壇ノ浦から北は奥州平泉まで、討伐の遠征あり
逃亡の道行きあり
それぞれに多くの逸話を残しながら、今も愛され
続ける義経、それは日本人の心の琴線に触れる
ものがあるからかも知れない
義経の夢は破れし衣川 護る(まもる)弁慶
仁王立ち
これは メッセージ 1 (bei*wol*11*jp さん)への返信です.