源義朝
投稿者: rie2378 投稿日時: 2012/01/08 08:55 投稿番号: [6137 / 6355]
大河ドラマ、平清盛が始まります
そこでライバル義朝を少しだけ
源義朝
義朝は苛立っていた、先の保元の乱にて親兄弟と
相争い、多大な犠牲を払って手にした戦果は余りに
少なかった
父、為義の助命嘆願が聞き届け無き事、政敵
清盛より官位が低かったのも不満であった、
その上、藤原信西と手を組んだ清盛に禁裏で
圧倒されるようになっていった
もう一人不満を持つ者がいた、信西と同じく
後白河上皇の側近で藤原信頼、
二人の思惑は一致し、密談が重ねられた
権中納言様(信頼)
いよいよ時はさし迫って
参りました
播磨の守(清盛)には熊野詣に興じると聞き
及んでおります、この期を逃さず都より彼の者共を
一掃させるのが肝要かと
如何にも、この期を逃せば再び好機は参るまい
獅子身中の虫、信西入道を討ち果たし上皇様に
奉りそうろう
御意、直ちに郎党どもと計りて、手抜かり無きよう
万端整えまして御覧に入れまする
平治元年、清盛の留守を狙って蜂起した義朝は
内裏を急襲し後白川上皇、二条天皇を幽閉、更に
信西を殺害
謀反成就と見えたのも束の間、急ぎ帰還した清盛に
敗れ尾張に逃亡を余儀無くされた
この戦いで義朝は、熊野より帰陣する清盛軍を
摂津の国で迎え撃つべく進言する、しかし軍事に
疎い信頼は、清盛は恐れをなして平伏すると
思い込みこれを拒んでいる
清盛は言葉巧みに信頼に持ち掛ける
中納言様、我等に二心ありませぬ、その証に
服従の念書を差し出しまする
ウム、祝着至極である、以後奉公に励まれよ
源平揃ってこそ、安泰というものじゃ
油断した信頼の隙を突いて、上皇、天皇を救出し
源家追討の院宣を手にした清盛は、大内裏を急襲
信頼は捕らえられ、六条川原で惨殺される
尾張に落ち延びた義朝も、思いもよらぬ最後を
強いられた、郎党長田忠致の屋敷にて入浴中
忠致の手にかかり謀殺、享年三十七歳
この時残した言葉が、
木太刀ひとつあらば!
これにより源氏再興の道は閉ざされ、頼朝が
蜂起するまで、二十数余年の時を待たねば
ならなかった
この平治の乱にて、貴族支配の宮廷政治は幕を閉じ
武家政権が徳川の末期に至るまで続くことになった
もはやこの時代においても、官位や家柄だけでは
権力を維持するのは難しく、力を持った武家勢力が
表舞台に踊り出たのは、歴史の必然と言えるのかも
知れない
これは メッセージ 1 (bei*wol*11*jp さん)への返信です.
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