伊達政宗
投稿者: rie2377 投稿日時: 2011/03/26 06:39 投稿番号: [5862 / 6355]
今回の震災では仙台も被災し、大きな打撃を受けた
仙台は東北最大の都市であり、仙台城は別名
青葉城と呼ばれている
藩祖伊達政宗が、心血を注いで築いた仙台城に
仙台米 杜の都仙台の一日も早い復興を
そこで
正宗 百万石の夢
天正十八年三月 二十万の大軍を率いて小田原に
向かう秀吉は機嫌が良かった、傍に控える家康に
のう、浜松殿、小田原の次はいよいよ伊達じゃな
御意、正宗という御仁、若いが仲々の者とか
ほう、それは一度会ってみたいものじゃ
山崎の合戦において光秀を討ち果たした秀吉は
その後も勢力を強め、次第に天下を手中にして
いった
九州平定を終え、今や意に従わぬは小田原の
北条氏政と東北の雄、伊達正宗だけであった
この時政宗二十五歳、父輝宗より家督を継ぎ
急速に領地を拡大していった
殿、太閤殿下より書状が参っておりまする
急ぎ小田原に、参上せよとの事で御座います
如何、取り計らいましょう
構わぬ、捨て置け、秀吉臆するに足りぬ
元はと言えば信長公の小姓上がり
何の恐れる事があろう
正宗にそう言わせるのは若さからか、それとも
溢れる出る力からか、しかし天下の情勢は
それを許さなかった
小田原陥落が決定的になり、天下は完全に秀吉の
物となった、残るは正宗のみ
もはや逆らえぬ、意を決した正宗は小田原に向かう
秀吉の前に現れた正宗を見て、居並ぶ諸将は驚きの
声を挙げた
何とした事、その装束は!
正宗は死に装束で現れたのである
太閤殿下、御尊顔を拝し恐悦至極に御座います
遅参の段、申し開きようも御座いませぬ
如何なる御沙汰あっても、この正宗
謹んで御受け致す所存
何卒御存分に
正宗の口上を聞く秀吉は、この若き麒麟児の力量が
並々ならぬ事を感じていた
そちが正宗か、噂に違わぬ器量じゃ
それにしても運の良い奴
もう一刻遅れておったら そなたのそっ首
胴体から離れておったわ
ははっー!
これ以後秀吉は正宗を厚く遇した、しかし牙を
抜く事も忘れなかった、領地の半分を取り上げた
のである
もはや戦国の世は終わり、己の野望は叶わぬと
得心した正宗は黙って従う他はなかった
その正宗に再び好機が訪れたのは、秀吉亡き後
徳川家康と石田三成が反目し、相争う事態に
なった時であった
家康が上杉討伐に向かう隙を縫って、三成は京で
兵を挙げる
これを聞いた家康も急遽京に向う 事は一刻を争う
遅れを取れば三成と上杉勢に挟撃される恐れがある
誰ぞ、筆を持て!
家康は正宗に書状をしたため、背後から上杉を
撃つよう催促したのである
伊達殿の参陣あらば 心強き事この上無し
事成就の暁には、百万石を持って遇する所存
即刻御出陣を
正宗は思慮に耽る
家康と三成の争いは長引くやも知れぬ、しかし
何れは家康の天下となろう
ここは家康に与力するが得策、万一戦いが
長引けばこれぞ千載一遇の好機、東北を平定し
百万石はおろか天下を動かせよう
しかし正宗の思惑は当らなかった、両軍が激突した
関が原は僅か一日で終ってしまう 正宗は約束を
盾に家康に百万石を要求する
しかし家康は言を左右に聞き入れなかった
もし要求を呑めば、それは虎を野に放つような
ものだったからである、又もや正宗は煮え湯を
飲まされた
仙台に移幇を命じられた正宗は決意する
百万石は我が手で成し得よう
それ以後荒地を開墾して新田を作り、北上川の
流れを変える大事業を行い、豊かな国造りを
目指したのである
それは長い道のりであった、二十年に及ぶ苦難の末
仙台一帯は日本でも有数の穀倉地帯となった
正宗は果たせなかった天下取りの代わりに、彼の地に
豊穣をもたらした
正宗没して百年余り、繁栄を謳歌する江戸庶民の
旺盛な食欲を賄ったのは仙台米であった
それは、全消費量の三分の二に達したと言われている
独眼流正宗、百万石の夢は正夢となったのである
仙台は東北最大の都市であり、仙台城は別名
青葉城と呼ばれている
藩祖伊達政宗が、心血を注いで築いた仙台城に
仙台米 杜の都仙台の一日も早い復興を
そこで
正宗 百万石の夢
天正十八年三月 二十万の大軍を率いて小田原に
向かう秀吉は機嫌が良かった、傍に控える家康に
のう、浜松殿、小田原の次はいよいよ伊達じゃな
御意、正宗という御仁、若いが仲々の者とか
ほう、それは一度会ってみたいものじゃ
山崎の合戦において光秀を討ち果たした秀吉は
その後も勢力を強め、次第に天下を手中にして
いった
九州平定を終え、今や意に従わぬは小田原の
北条氏政と東北の雄、伊達正宗だけであった
この時政宗二十五歳、父輝宗より家督を継ぎ
急速に領地を拡大していった
殿、太閤殿下より書状が参っておりまする
急ぎ小田原に、参上せよとの事で御座います
如何、取り計らいましょう
構わぬ、捨て置け、秀吉臆するに足りぬ
元はと言えば信長公の小姓上がり
何の恐れる事があろう
正宗にそう言わせるのは若さからか、それとも
溢れる出る力からか、しかし天下の情勢は
それを許さなかった
小田原陥落が決定的になり、天下は完全に秀吉の
物となった、残るは正宗のみ
もはや逆らえぬ、意を決した正宗は小田原に向かう
秀吉の前に現れた正宗を見て、居並ぶ諸将は驚きの
声を挙げた
何とした事、その装束は!
正宗は死に装束で現れたのである
太閤殿下、御尊顔を拝し恐悦至極に御座います
遅参の段、申し開きようも御座いませぬ
如何なる御沙汰あっても、この正宗
謹んで御受け致す所存
何卒御存分に
正宗の口上を聞く秀吉は、この若き麒麟児の力量が
並々ならぬ事を感じていた
そちが正宗か、噂に違わぬ器量じゃ
それにしても運の良い奴
もう一刻遅れておったら そなたのそっ首
胴体から離れておったわ
ははっー!
これ以後秀吉は正宗を厚く遇した、しかし牙を
抜く事も忘れなかった、領地の半分を取り上げた
のである
もはや戦国の世は終わり、己の野望は叶わぬと
得心した正宗は黙って従う他はなかった
その正宗に再び好機が訪れたのは、秀吉亡き後
徳川家康と石田三成が反目し、相争う事態に
なった時であった
家康が上杉討伐に向かう隙を縫って、三成は京で
兵を挙げる
これを聞いた家康も急遽京に向う 事は一刻を争う
遅れを取れば三成と上杉勢に挟撃される恐れがある
誰ぞ、筆を持て!
家康は正宗に書状をしたため、背後から上杉を
撃つよう催促したのである
伊達殿の参陣あらば 心強き事この上無し
事成就の暁には、百万石を持って遇する所存
即刻御出陣を
正宗は思慮に耽る
家康と三成の争いは長引くやも知れぬ、しかし
何れは家康の天下となろう
ここは家康に与力するが得策、万一戦いが
長引けばこれぞ千載一遇の好機、東北を平定し
百万石はおろか天下を動かせよう
しかし正宗の思惑は当らなかった、両軍が激突した
関が原は僅か一日で終ってしまう 正宗は約束を
盾に家康に百万石を要求する
しかし家康は言を左右に聞き入れなかった
もし要求を呑めば、それは虎を野に放つような
ものだったからである、又もや正宗は煮え湯を
飲まされた
仙台に移幇を命じられた正宗は決意する
百万石は我が手で成し得よう
それ以後荒地を開墾して新田を作り、北上川の
流れを変える大事業を行い、豊かな国造りを
目指したのである
それは長い道のりであった、二十年に及ぶ苦難の末
仙台一帯は日本でも有数の穀倉地帯となった
正宗は果たせなかった天下取りの代わりに、彼の地に
豊穣をもたらした
正宗没して百年余り、繁栄を謳歌する江戸庶民の
旺盛な食欲を賄ったのは仙台米であった
それは、全消費量の三分の二に達したと言われている
独眼流正宗、百万石の夢は正夢となったのである
これは メッセージ 1 (beiowolf119jp さん)への返信です.