ビートルズ物語
投稿者: rie2377 投稿日時: 2010/12/11 07:07 投稿番号: [5798 / 6355]
今月の8日は、ジョンレノン没後30年
そこで奥さんのオノ ヨーコはNY
タイムスに手記を寄稿している
その他にも様々なイベントが行われ
中でもタワーレコードが募集した
「ザ・ビートルズ なぞかけ」キャンペーンで
最優秀に輝いたのがこれ
ザ・ビートルズとかけて、
上質なスコッチウイスキーと解く
その心は、
英国産 ロックで世界を酔わせます
上手い、座布団100枚 笑
という事で、以前書いたビートルズを
ビートルズ物語
ビートルズの歴史はジョン、レノンの歴史と
言えるかも知れない ジョン、ウエストン
レノン 1940年リバプール産まれ
父親は船乗りだったが、物心つかない内に
行方不明になり母親も病弱な為、叔母の
ミミに預けられた
優しい叔母で大事に育てられたが、18歳のとき
実母が自動車事故で亡くなってしまう
この頃から淋しさを紛らすように、やみくもに
ロックにのめり込んでいった
当時イギリスの音楽界は、クリフリチャードに
象徴されるようなソフトロック いわゆる
スキッフルなどが主流だった
しかし港町のリバプールはもっとヘビーだった
彼らはアメリカから持ち込まれた、プレスリーや
リトルリチャード、チャク、ベリーといった
ロックンロール リズムアンドブルースを
コピーしていたのである
ジョンもそういった空気の中で最初のバンド
クォリーメンを結成し、ロックに夢中になっていた
その頃ある少年がジョンの元を尋ねて来た
ハンサムなこの少年は彼らが弾けなかった
ロックの数々を容易に弾いて見せ、皆を驚かせる
彼の名はジェイムス、ポール、マッカトニー
左利きのハンサムボーイは、兎に角ギターの
名手で彼の加入によりまだ荒削りだったバンドも
それなりに体裁が整ってきた
暫く鳴かず飛ばずだったが、何時もバンドに
まとわり付き子供扱いされていた、ジョージ
ハリスン、ジョンの友人ステュアート、サトクリフ
ドラマーのピートベストを加え、セミプロ級の
バンドに成長していった
名前もシルバー、ビートルズから、我々の
馴染み深い ザ、ビートルズに変え一大飛躍を
遂げようとしていたのである
彼等の飛躍の場は意外にも、ドイツのハンブルグ
だった リバプールの興行主、アラン
ウイリアムスの斡旋でヨーロッパ最大の歓楽街で
腕を磨くことになった
彼らはさすが港町育ちしたたかだった、酒 女、
ドラッグ、経験を積みながら、喧騒渦巻く
場末のクラブで一日五時間以上、毎日演奏した
のである
当然レパートリーも増え格段に上達していった
この時にこそビートルズの音楽は誕生したと
私は思う、酔客の罵声を浴びながら
激しいリズムを刻み
必ず世に出てやる
彼らはそう思ったに違いない
ジョージの年齢詐称が露見して、一時帰国を
命せられリバプールに戻ったビートルズは
もう何処にでもいるような、三流バンドでは
なかった
クラブ、キャバーンに出演する彼らを見ようと
クラブの前には長蛇の列が出来たのである
この人気に関心を持ったのが、大きな家具店を
経営し レコードショップも持っていた
ブライアン、エプスタインであった
そこで奥さんのオノ ヨーコはNY
タイムスに手記を寄稿している
その他にも様々なイベントが行われ
中でもタワーレコードが募集した
「ザ・ビートルズ なぞかけ」キャンペーンで
最優秀に輝いたのがこれ
ザ・ビートルズとかけて、
上質なスコッチウイスキーと解く
その心は、
英国産 ロックで世界を酔わせます
上手い、座布団100枚 笑
という事で、以前書いたビートルズを
ビートルズ物語
ビートルズの歴史はジョン、レノンの歴史と
言えるかも知れない ジョン、ウエストン
レノン 1940年リバプール産まれ
父親は船乗りだったが、物心つかない内に
行方不明になり母親も病弱な為、叔母の
ミミに預けられた
優しい叔母で大事に育てられたが、18歳のとき
実母が自動車事故で亡くなってしまう
この頃から淋しさを紛らすように、やみくもに
ロックにのめり込んでいった
当時イギリスの音楽界は、クリフリチャードに
象徴されるようなソフトロック いわゆる
スキッフルなどが主流だった
しかし港町のリバプールはもっとヘビーだった
彼らはアメリカから持ち込まれた、プレスリーや
リトルリチャード、チャク、ベリーといった
ロックンロール リズムアンドブルースを
コピーしていたのである
ジョンもそういった空気の中で最初のバンド
クォリーメンを結成し、ロックに夢中になっていた
その頃ある少年がジョンの元を尋ねて来た
ハンサムなこの少年は彼らが弾けなかった
ロックの数々を容易に弾いて見せ、皆を驚かせる
彼の名はジェイムス、ポール、マッカトニー
左利きのハンサムボーイは、兎に角ギターの
名手で彼の加入によりまだ荒削りだったバンドも
それなりに体裁が整ってきた
暫く鳴かず飛ばずだったが、何時もバンドに
まとわり付き子供扱いされていた、ジョージ
ハリスン、ジョンの友人ステュアート、サトクリフ
ドラマーのピートベストを加え、セミプロ級の
バンドに成長していった
名前もシルバー、ビートルズから、我々の
馴染み深い ザ、ビートルズに変え一大飛躍を
遂げようとしていたのである
彼等の飛躍の場は意外にも、ドイツのハンブルグ
だった リバプールの興行主、アラン
ウイリアムスの斡旋でヨーロッパ最大の歓楽街で
腕を磨くことになった
彼らはさすが港町育ちしたたかだった、酒 女、
ドラッグ、経験を積みながら、喧騒渦巻く
場末のクラブで一日五時間以上、毎日演奏した
のである
当然レパートリーも増え格段に上達していった
この時にこそビートルズの音楽は誕生したと
私は思う、酔客の罵声を浴びながら
激しいリズムを刻み
必ず世に出てやる
彼らはそう思ったに違いない
ジョージの年齢詐称が露見して、一時帰国を
命せられリバプールに戻ったビートルズは
もう何処にでもいるような、三流バンドでは
なかった
クラブ、キャバーンに出演する彼らを見ようと
クラブの前には長蛇の列が出来たのである
この人気に関心を持ったのが、大きな家具店を
経営し レコードショップも持っていた
ブライアン、エプスタインであった
これは メッセージ 1 (beiowolf119jp さん)への返信です.