何故、嫌いな日本人に成り済ますのか?

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風雲 桶狭間

投稿者: rie2376 投稿日時: 2010/02/20 07:40 投稿番号: [4462 / 6355]
信長2本目は、お馴染み桶狭間を

     風雲   桶狭間

お濃、湯漬けを持て!

信長の怒号が、清洲城に鳴り響いた

永禄三年五月、駿河の太守今川義元は
上洛を決意し四万五千の大軍を擁して
駿河を出発したのであった

同月、十七日正午、織田方の小城を
次々と陥落させた今川軍は
田楽桶狭間にて、昼食(じき)の為
軍勢を休ませていた

桶狭間は名にしおう難所、谷が入り組み
その上谷底には深田が作られ、一旦布陣が
崩れると収拾がつかなくなるは必定であった

勝てる!

信長は、そんな予感がした

人間五十年   下天の内をくらぶれば
夢幻の如くなり

一度生を得て   滅せぬ者のあるべきか

敦盛を一さし、舞い終わると

よいか!今川勢は大軍を盲信し
油断あり

我が勝機ここにあり

誰ぞ、具足を持て!

素早く具足を身に付けた信長は、馬に跨るや
疾風の如く城門を駆け抜けて行った
従うは近習僅か五騎

桶狭間の義元は上機嫌であった、小競り合い
にて織田勢を蹴散らし、行く手を阻む物は
何もなかった

尾張勢は手も足も出まい、僅か五千足らずで
何程の事が出来ようぞ

京は目の前じゃ!

この時、義元は背後の北条氏康、北の武田信玄と
盟約を結び越後の脅威、上杉謙信包囲網を
敷いていた

いわいる三国同盟である

後願の憂いを無くした義元の天下取りは
並み居る諸将から、京の童子に至るまで
当然の如く受け取られていた

一方、清洲城を後にした主従六騎は駆けに
駆け抜けた、熱田に到着した頃には
信長出陣を聞き付けた郎党達が集まり
その数は弐百程に達していた

そこから善照寺砦に入り、兵の集結を
待ったのである、やがて兵を整え
桶狭間に到着した信長は眼下に今川勢を
見下ろし、激を飛ばす

皆の者、よく聞くが良い!

小軍なりとも、大敵を怖るる事なかれ
運は天に在り、古来よりの言い伝えじゃ

織田家の命運、この戦さにあり
各々手柄を立て、功名を残すべし

いざ、押し出せー!

ウオォー!

黒い稲妻が今川軍目指して殺到した
不意を付かれた駿府勢は、ひとたまりもなく
崩れ去った

折りしも、雨でぬかるんだ田畑に足を
取られた兵士達は逃げ場を失い、次々と
首を打たれさながら地獄絵図の
様相を呈していた

義元が事の重大さに気付いたのは、周りを
固める手勢が僅か二十騎程になった時で
あった

殿、もはや尾張勢、防ぎ切れませぬ
御覚悟を

信長めにしてやられたか
天下人の余が、斯くも安々果てるとは

これが定めか、無念じゃ!

享年四十二歳、京を目前に無念の最後であった

これは源氏の流れを汲む名門として
南北朝の時代より駿府、遠江に君臨してきた
今川家の凋落の始まりでもあった

嫡男氏真に、戦国の世を切り開く力は無く
迷走を重ね、最後は家康の庇護の元に
入っていった

ともあれこの桶狭間の戦いは、天下を
震撼させるものであった
天下取りは一気に混迷の度を深め
戦国武将達は密約、寝返りを繰り返し
その機会を窺ったのである

この戦いにて、尾張の弱小大名、織田信長の名は
一挙に知れ渡り、信長も又天下取りに向けて
第一歩を踏み出した

それは信長の野望、第一章でもあった
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