静御前
投稿者: rie2376 投稿日時: 2010/01/30 08:26 投稿番号: [4349 / 6355]
一応源平物のエピローグとして
静御前を
静御前
文治二年三月
義経と吉野山での雪中の
別れを余儀なくされた静御前は京に
戻る途中捕らえられ、鎌倉へ護送された
鎌倉での詮議は厳しかった、義経の
行方を追及する官使の夜を徹しての
詰問が続けられた
しかし静は頑として口を割らなかった
判官殿は、何れにおわす!
そなたが、知らぬ筈はあるまい
素直に申されるがよい!
何れにおわすのか、この静(しずか)より
聞きとう御座います
吉野の御山にては、何も聞かされては
おりませぬ
幾度繰り返しても埒があかず、とうとう
根負けをしている
そんな折、北条政子のたっての願いで
鶴岡八幡宮の回廊で舞いを奉納する事に
なった、頼朝初め鎌倉幕府の主だった
重臣達も顔を揃えている
静(しずか)は穏やかに、そして華麗に舞った
吉野山
峰の白雪践み分けて
入りにし人の
跡ぞ恋しき
しづやしづ
しづのをだまき繰り返し
昔を今に、なすよしもがな
義経を慕い別離を悲しむ舞であった
さすがは都随一の白拍子、重臣達を始め
見物に訪れた人々は感動の余り、感涙に
むせんだという
しかし、頼朝は激怒した
鎌倉を鎮府する八幡宮の回廊で
事もあろうに謀反人を慕う
舞いを舞うとは
許せぬ
誰ぞ静(しずか)の首を
跳ねて参れ!
静に同情していた政子は、頼朝を諌める
佐(すけ)殿、それはなりませぬ
考えても御覧なされ
静御前は九朗殿を、命を賭けて
慕うておりまする
憶えておいでか、伊豆で謀反人として
流罪の佐殿を、この政子がどれだけ案じたか
あれと同じ事、
誉めこそすれ、命を奪うなどとは
正気の沙汰とは思われませぬ
この政子の諫言は頼朝の心を打った
自分の非を詫び、静には褒美に
花襲の衣を届けている
しかし静の受難は、これだけではなかった
身篭っていた静が男子を出産した為
直ちに由比浜に捨てられてしまったのである、
赤子を離そうとしない静の手元から
剥ぎ取るように奪われていった
静は我が身の定めを嘆いた、義経の形見を
失い母としての哀しみは大きかった
その後放免された静(しずか)は
矢も盾もたまらず義経を追い奥州に
向って行った
しかし途中で力尽き、岩代の国にて
池に身を投じ、生涯を閉じている
当代随一の舞の名手静御前と、天才武将
義経の悲恋は都はおろか、諸国に知れ渡り
各所に静御前の足跡が残されている
義経を巡る女達の中でも、最も悲哀に
包まれた静御前、享年二十一歳であった
これは メッセージ 1 (beiowolf119jp さん)への返信です.
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