何故、嫌いな日本人に成り済ますのか?

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鶴富屋敷

投稿者: rie2376 投稿日時: 2010/01/23 08:00 投稿番号: [4314 / 6355]
壇ノ浦のあと、散りじりになった
平家一門を

       鶴富屋敷

壇ノ浦で破れ、散りじりとなった
平家一門は西国各地の山中に身を潜め
源氏の追撃を振り切るのに心を
砕いていた

日向の国、椎葉の村にもそんな平家の
一団が落ち延びて来た、武器は持たず
着の身着のままのあの栄華を謳歌した
平家一門とは思えぬ、寂しい姿であった

村人は彼等を温かく迎え入れた
京言葉を話し、穏やかな物腰の
平家の人々は村人に警戒心を
抱かせなかった

慣れぬ農耕を習い、静かな日々を
送っていたのである

しかし、平家の残党椎葉にありの報は
鎌倉の頼朝の元に伝えられ、追討の軍勢が
日向の地を目指し鎌倉を出発したのであった

総大将を務めるのは、那須の大八郎宗久
(むねひさ)   屋島の合戦で見事扇を
射抜き、一躍天下に名を轟かせた
那須の与一、宗隆の弟である

宗久が椎葉に入ってみると、平家の
武将達の姿は無く、ひなびた農村が
点在しているだけであった

これを見た宗久は配下の者に下知を下す

皆の者、よく見るがよい
我等に手向かう者誰一人おらぬ

かくも穏やかに過ごせし者を
討ち果たすは如何にも忍びない

されば、落人追討は取り止めと致す!

待たれよ御大将、それにては鎌倉殿の
御意向に逆らう仕儀と相成りまする

構わぬ!   鎌倉へは無事討伐致せりと
書状を送れば、事無きを得よう

宗久は討伐を断念すると、平家の落人と
共に椎葉に定住するのを決意する

彼等と共に田を耕し、平氏の霊を弔う
神社を建て村人からも信望を集めていた

清盛の血を引く鶴富姫との出会いもそんな
折であった

二人は深く愛し合い、将来を誓う仲と
なったが、頼朝の再三の帰国命令により
せんなき別れを余儀なくされる

この時すでに鶴富姫の身体には二人の
子供が宿っていた、別れに当たり宗久は

万一男子ならば共に我本領、下野の国
(栃木県)へ参るがよかろう

但し女子であれば、そなたがこの地で
育てるがよい

そう言い残すと、名刀、天国丸を鶴富姫に
手渡し鎌倉へ旅立って行った

見送る鶴富姫の心は揺れていた、

今すぐ追って行きたい   愛する人と
共に鎌倉へ行きたい

しかし、それは叶わぬ願いであった

落人の娘と共に鎌倉に姿を見せれば
宗久に災いが掛るは必定、例え今生の
別れと言え宗久の身を案じ、別離の
悲しさに耐える他はなかった

やがて姫が産んだのは女子であった

約束通り椎葉の地で育て上げ、成人するに
及んで婿を迎えると、那須下野守と
愛しい宗久の名を付けたのである

その後椎葉の村には、源氏と平氏の
子孫が肩を並べて暮すようになり
あたかも理想郷を思わせるような
風情を漂よわせていた

鶴富姫が住んだと言われる鶴富屋敷は
今でも残存し、文化財にも指定され
多くの観光客が鶴富姫と宗久の悲恋を
偲んで、毎日のように全国から訪れている

日向の民謡ひえつき節に、この二人の事が
描かれている

庭の山椒の木、鳴る鈴かけて
鈴の鳴るときゃ出ておじゃれよ

鈴の鳴るときゃ、なんというて
出ましょ  

駒(うま)に水くりょというて出ましょ
 
おまや平家の公達流れ   おどま追討の
那須の末よ

那須の大八 鶴富捨てて   椎葉立つときゃ
目に涙よ

解説を少し

私が来た時は、姫が住む屋敷の
山椒の木に、鈴を架けておくから
鈴の音が聞こえたら出ておいで

家の者に何と言って出ましょう

そう、馬に水をやりにとでも言って
出ておいで

後は歌の通りで省略を
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