何故、嫌いな日本人に成り済ますのか?

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女関が原

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/12/19 08:22 投稿番号: [4152 / 6355]
源平の前に戦国物を、淀君とおねの
確執を

女関が原

関が原の合戦では、決断を迫られた
武将達が数多くいた、西につくか
東に回るか

京極高次や加藤清正、福島正則など
秀吉恩顧の武将達

秀吉には大恩を感じるも、秀頼の周りを
取り巻く石田三成、大野治長らと
そりが合わず、迷いに迷っていた

奇しくも、もう一人苦しみもがく女性が
いた、その名はおね、一説ではねね
秀吉の正室、悲しいかな子種に恵まれず
とうとう世継ぎを得る事が出来なかった

淀が二人目の男子秀頼を産んだ頃から
二人の関係が微妙に変化していった

御台様、ご機嫌うるわしゅう
恐悦至極に存じまする

そう挨拶する淀の目に、愚弄の色が
漂っているのをおねは見逃さなかった

さては、この私に子がないのを
せせら笑っての事か

それとも、上様(信長)の姪御を鼻に
かけてのあざけりか

秀頼が成長するに従い淀の立場は
強くなり、おねは影が薄くなっていく
秀吉は世継ぎ秀頼を盲愛し淀も
自由気ままに振舞い始める

やがて秀吉がなくなり、天下分け目の
関が原を迎える

西国大名を後ろ盾に軍馬を集める西軍に
不利な立場の家康は、秀吉子飼いの
武将達に幾度も文(ふみ)を
送りつけている

貴殿は太閤殿下の与力として
天下に知られた豪の者

殿下への忠誠も、並々ならぬものが
あると存ずる

しかるに恩は恩、時節は時節
秀頼様を取り巻くあの者等に
天下が治められる筈もなし

貴殿は治部少輔の風下に立って
武士の意地が立ちゆくやいなや

此度は不肖家康に合力されよ
望みは総て聞き届ける所存にて

とくと御思案あれ

元来家康とおねは気が合った、秀吉生存の
折にも何かにつけて家康はおねを訪ね
相談事を持ちかけている

おねも家康の人物の大きさに、敬意と
好意を抱いていた

おねは戦いを前に、思案にくれる

もしこのまま戦さが始まれば、西軍の
勝利は間違いあるまい、しかし幼い
秀頼と佐吉(三成)や治長らでは
天下を治めるのは無理であろう

それにあの淀が、大乱の元になるやも
知れぬ、いずれ内輪で争い世は
戦乱の時に戻ってしまうのは必至

二度とあのような、戦さ続きの世に
してはならぬ、どれだけ民百姓が
困窮するか

いざ戦いが始まれば田畑は荒らされ
男達は雑兵としてかり出されて
いつ戻るのやも知れぬ

何時も泣くのは女子供、二度と
あのような目に合わせとうはない

家康殿なら天下を治め、太平の
世にしてくれるであろう

それにもまして、淀の振るまいが
我慢がならぬ

関が原の戦いは、家康と三成という
側面とは別におねと淀   正室対側室
平たく言えば嫁と妾の女の戦いでも
あったのではないだろうか

かくしておねは、態度を決めかねている
秀吉恩顧の武将達に、家康に味方するよう
促したのであった

これは大きな作用をもたらした
迷っている時に背中をポンと
押されたようなもの

天下に知られた武将達が、雪崩を打って
家康の元に馳せ参じた   この時おねが
打倒家康を叫んでいたら天下は
どうなっていただろう

三成や治長らと距離を置いても
おねの元に結集し

かか様の言われる事は、殿下の言われる事
何なりと御命令を

三成にしても清正にしても、みな我子同然に
育てた者達、母代わりのおねの力は
想像以上に大きかったと思えてならない

江戸の世になり騒乱が収まると、静かに
秀吉の菩提を弔う日々を送っていた
家康も大事に扱い度々足を運んでいる

やがて臨終の時、こう思ったに違いない

おまえ様、太平の世になりました
家康殿が上手く収めていますよ

これで良かったでしょう、私を恨んでは
いませんね、元は二人で作った大阪城
何の惜しいこともありません

もうすぐ行きますから、ゆっくり
話をしましょう

華やかだった大阪城を思い浮かべ
満足そうに旅立ちに向かうおね

その表情は安らぎと、光明に満ちた
穏やかなものだった
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