Re: 何故、嫌いな日本人に成り済ますのか?
投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/08/08 09:18 投稿番号: [3526 / 6355]
休日の時間潰しに、戦国物を
戦国時代、過酷な運命に巻き込まれた
のは男だけではなく、女達も同じだった
そこで戦国の女シリーズを、3回に分けて
週末に投稿します、一回目は築山御前を
瀬名の願い
家康の居城、浜松城に信長からの
口上を携えた使者が到着したのは
叩きつけるような雨の降る嵐の夜であった
信長の口上は家康を震撼させた
それによると
浜松殿には益々御健勝の事と存ずる
共に相たずさえ天下の為、精進つかまつらん
さて貴殿の正室築山殿、及び嫡男信康殿に
謀反の疑いこれあり 勝頼に内通の儀
確たる証しあれば詮議の後、速やかに
沙汰を下すべし
家康にとっては寝耳に水の、口上であった
これは一体何とした事
家康は、直ちに瀬名の住む築山御殿に赴いた
瀬名、瀬名はおらぬか!
家康の怒号が、屋敷中に鳴り響く
これは殿、何事で御座いましょう
そのような大声を出されて
瀬名、よく聞け、その方よもや
勝頼と内通していると言うのは
誠ではあるまいな
信長公より、口上が届いておる
滅相も御座りません、わらわは
何も存じませぬ
そのような事、わらわは知りませぬ
瀬名には思いもよらぬ謀事の露見であった
まさかこのような事態になろうとは
瀬名は今川義元の妹の娘 姪にあたる
三河から人質として駿府に送られていた
家康と、義元の勧めで祝言をあげ
夫婦(めおと)となった
しかし義元が非業の死を遂げた
桶狭間の戦い以来、家康と折り合いが
悪くなり、築山御殿に別居していた
瀬名は懐かしい駿府のお城を思い浮かべる
蹴鞠に連歌女官達の歓声、雅なあの日々
瀬名の願いは我が夫家康が、大御所様
(今川義元)の与力として、大大名に
なる事であった
しかしその夢は桶狭間で、無惨にも
破れ去ってしまった
まさかあの粗野な信長づれに、大御所様が
不覚を取るとは、かくなる上は殿に
一刻も早く御所様の仇討ちを
その家康は京好みで文人肌の、世継ぎ
氏真(うじざね)をとうに見限っていた
あれでは今川も長くはあるまい
天下の流れは兄者にある
信長公と共に歩むべし
これは瀬名にとって、許す事のできぬ
背信行為であった 大恩ある義元公を
裏切り、あの憎っくき信長になびくとは
信長も我が夫もみな今川の敵、まして愛しい
我が子信康の正室(徳姫)までも信長の娘、
かくなる上は御所様とよしみのあった
信玄公の御世継ぎ、勝頼殿と共に
信長を討ち果たさん
殿、わらわのいう事と、信長殿のいう事
どちらをお信じになりまする
あの御仁は、慈悲も情けもありませぬ
御所様の御無念、何とぞ仇討ちを、
どうか、瀬名の言葉もお聴き届き下さいませ
ならぬ! 沙汰あるまで蟄居致すよう
しかと言い置く
瀬名にはどうする事も出来なかった、
時代の流れはもはや信長に傾いていた
信玄、謙信、今は無く、勝頼も長篠の
戦いに敗れ滅亡へと向い、瀬名にも
過酷な運命が襲いかかって来る
天正七年八月二十一日、岡崎の築山御殿から
浜松城に輸送の途中惨殺 享年三十七歳
最愛の嫡男信康も、後を追うように
二俣城で切腹、二十一年の生涯に幕を閉じた
正室と嫡男を一挙に失うという家康に
とっても、辛い決断だった
瀬名もまた戦国の世の犠牲者であった
義元が天下人になっていたら、又違う
華やかな生き方もあったと思えてならない
今川の天下は、夢幻の如くなり
瀬名の願いは露と砕けし
戦国時代、過酷な運命に巻き込まれた
のは男だけではなく、女達も同じだった
そこで戦国の女シリーズを、3回に分けて
週末に投稿します、一回目は築山御前を
瀬名の願い
家康の居城、浜松城に信長からの
口上を携えた使者が到着したのは
叩きつけるような雨の降る嵐の夜であった
信長の口上は家康を震撼させた
それによると
浜松殿には益々御健勝の事と存ずる
共に相たずさえ天下の為、精進つかまつらん
さて貴殿の正室築山殿、及び嫡男信康殿に
謀反の疑いこれあり 勝頼に内通の儀
確たる証しあれば詮議の後、速やかに
沙汰を下すべし
家康にとっては寝耳に水の、口上であった
これは一体何とした事
家康は、直ちに瀬名の住む築山御殿に赴いた
瀬名、瀬名はおらぬか!
家康の怒号が、屋敷中に鳴り響く
これは殿、何事で御座いましょう
そのような大声を出されて
瀬名、よく聞け、その方よもや
勝頼と内通していると言うのは
誠ではあるまいな
信長公より、口上が届いておる
滅相も御座りません、わらわは
何も存じませぬ
そのような事、わらわは知りませぬ
瀬名には思いもよらぬ謀事の露見であった
まさかこのような事態になろうとは
瀬名は今川義元の妹の娘 姪にあたる
三河から人質として駿府に送られていた
家康と、義元の勧めで祝言をあげ
夫婦(めおと)となった
しかし義元が非業の死を遂げた
桶狭間の戦い以来、家康と折り合いが
悪くなり、築山御殿に別居していた
瀬名は懐かしい駿府のお城を思い浮かべる
蹴鞠に連歌女官達の歓声、雅なあの日々
瀬名の願いは我が夫家康が、大御所様
(今川義元)の与力として、大大名に
なる事であった
しかしその夢は桶狭間で、無惨にも
破れ去ってしまった
まさかあの粗野な信長づれに、大御所様が
不覚を取るとは、かくなる上は殿に
一刻も早く御所様の仇討ちを
その家康は京好みで文人肌の、世継ぎ
氏真(うじざね)をとうに見限っていた
あれでは今川も長くはあるまい
天下の流れは兄者にある
信長公と共に歩むべし
これは瀬名にとって、許す事のできぬ
背信行為であった 大恩ある義元公を
裏切り、あの憎っくき信長になびくとは
信長も我が夫もみな今川の敵、まして愛しい
我が子信康の正室(徳姫)までも信長の娘、
かくなる上は御所様とよしみのあった
信玄公の御世継ぎ、勝頼殿と共に
信長を討ち果たさん
殿、わらわのいう事と、信長殿のいう事
どちらをお信じになりまする
あの御仁は、慈悲も情けもありませぬ
御所様の御無念、何とぞ仇討ちを、
どうか、瀬名の言葉もお聴き届き下さいませ
ならぬ! 沙汰あるまで蟄居致すよう
しかと言い置く
瀬名にはどうする事も出来なかった、
時代の流れはもはや信長に傾いていた
信玄、謙信、今は無く、勝頼も長篠の
戦いに敗れ滅亡へと向い、瀬名にも
過酷な運命が襲いかかって来る
天正七年八月二十一日、岡崎の築山御殿から
浜松城に輸送の途中惨殺 享年三十七歳
最愛の嫡男信康も、後を追うように
二俣城で切腹、二十一年の生涯に幕を閉じた
正室と嫡男を一挙に失うという家康に
とっても、辛い決断だった
瀬名もまた戦国の世の犠牲者であった
義元が天下人になっていたら、又違う
華やかな生き方もあったと思えてならない
今川の天下は、夢幻の如くなり
瀬名の願いは露と砕けし
これは メッセージ 1 (beiowolf119jp さん)への返信です.