★怒りについて (ガブリエル)
投稿者: akunukiman 投稿日時: 2011/10/01 09:05 投稿番号: [302 / 433]
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ガブリエル
怒りについてお話しましょう。
天上界が何故、ゆるしの代りに叱責をあなた方に与えるのか、考えたことがありますか。神はいやすもの、何者をも救いたまうもの、と受け取り、何故天上界はこんなにも厳しいのだろう、お怒りになるのか、と疑問に思ったことがありますか。
もし、あなたがそう思うなら、正法を理解していない証拠です。正法は宗教ではない故に、安易に手を差しのべず、その代りに、叱責と忠告を以て自ら立たせようとするのです。
ユートピアをつくるのがその目的であるからです。それ故の共産・社会主義批判であり、厳しい消滅であり、妥協なき魂の研磨なのです。
神は、天上界は、義人は、聖人は怒らず、批判しない、と考えてはいませんか。善は悪と相容れぬ故に怒るのです。批判するのです。正しきを知る故に異を唱え、激しさを以て接するのです。善も悪もない、善も悪になり、悪も善になる、だから罰するのはおかしい、と言う者は、その悪に泣かされ踏みにじられ、殺された者を知らぬだけなのです。
何があっても怒らず、乱されず、心を平静に保つのが正しいと考えてはいませんか。世を捨て、一人山間に隠居する仙人ならそれも良いでしょう。山紫水明に詩を吟じ、露を食べ、姿を消す術に身をやつす、そんな生き方なら、そのような心も持つでしょう。しかし、あなた方は、俗世に生きているのです。仕事を持ち、家族を養い、明日を思い、今日を暮らす人間です。社会に生きるが故に、平凡ではあっても、人類史の一ページ、片端に生きるあなた方なのです。一人では決して生きてはいません。目に見えるもの、見えぬもの、総てによって生き、生かされているのです。それならば、少しでも良い社会をつくってゆくことが、課題になるはずです。そのためには悪いことは悪い、美しいものは守る、正しいことは貫く、そんな姿勢が大切なのです。必然的に、正しくないものには厳しくするのが、自然な生き方と言えるのではありませんか。
批判をすると、何か円満さに欠ける人格であるかのように思われ勝ちですが、批判できぬ人は悪や不義に対して鈍いだけなのです。鈍いというのは気が付かぬということであり、自分もその中にひたっている、容認しているのだと言えるでしょう。社会悪と妥協し、そして社会浄化には関心のない人です。
あなたは、どうですか。
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「天上界メッセージ集」
千乃裕子/JI編集部編
(134ページ〜135ページ)
◆社会や人間を正すことは愛ですよ、愛。
これは メッセージ 300 (アクヌキマン さん)への返信です.
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