懐かしいカラオケ〜〜〜

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Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: higasihetobu 投稿日時: 2012/11/26 00:05 投稿番号: [47 / 47]
UP

Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: heitotakaohonorsroom 投稿日時: 2012/11/19 10:10 投稿番号: [46 / 47]
夏の風001様:
南の花嫁さんと同じ時期にも戦後も「渡り鳥」とゆう歌が流行りました。
「南から南から、飛んできたきた渡り鳥、嬉しさに悲しさに富士のお山が
呼んでいるーーーーー」渡り鳥は北方からと南方からの二種類あり、冬に
日本に来るのが、北のシベリヤ、中国から、夏に来るのが南の島から飛んで来る
渡り鳥で、ツバメが代表的でした。千ー二千キロと飛んで来る渡り鳥には
国境はなかったですね。温暖な紀州の我が家の大樹に台湾からのすずめが来たと空想していましたよ。

Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2012/11/18 23:18 投稿番号: [45 / 47]
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Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2012/11/15 23:22 投稿番号: [44 / 47]
謝謝でした(笑い)

Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/11/15 19:01 投稿番号: [43 / 47]
夏の風001様:
upしておきます。

Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/11/10 05:29 投稿番号: [42 / 47]
natunokaze001様:
戦後の上級試験は1947年までは日本語で提出されたそうですね。その後は北京語での入試でしたか?引き揚げてきて街中のパチンコ屋の中からいやが上にも街中へ聞こえがしとが鳴り出す、戦時中の軍歌は景気、情熱を出させるために鳴らすのでしょうか?之には文部省も警察も新聞記者も日教組も文句
がでませんでした。パチンコ経営の多くが在日外人であって抗議するのを
恐れたためでしょうか?この習慣はいまでも隣人に抗議できずに黙る日本外交と似ていますね。戦死した英雄もその遺族も迷惑気分であったかもしれません。それで式典などで、君が代をこばむ教員、生徒、父兄がいたとは理解しにくい混乱世論でありました。スポーツにはルールがあります。そのルールを越えた自分の宣伝とか国家の宣伝は禁じられています。メダルの剥奪は当然ですね。

Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2012/11/09 23:52 投稿番号: [41 / 47]
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Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2012/11/08 23:01 投稿番号: [40 / 47]
並木路子さんのりんごの歌は、そのときにあわせて歌いました。

当時、日本から、台湾へ帰ってきた霊の中に、親にだまされて帰ったのがありました。本人から聞いたので、真実な話です。

本人は日本に泊めるつもりを、郷里の父母が、気にして「父危篤」の電報を打ち、顔真っ青にして、家に帰り着くや、父が、門外で迎えてくれたのには、びっくりというより、頭にきたのが本当でした。

そういう方法で、だましかえったのが少なくないそうです。

日本に残ってた、者は、戦後の高度成長に、出会い、ほとんどが大成功しているんですね。

戦後、えのけん氏の来台、私はそのとき、舞台のまえで、えのけん氏を拝見しました。足がセダンしているので、舞台真ん中に、置いていたソファに腰掛けての出演でした。だいぶ年があった感じです。

Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/11/08 05:58 投稿番号: [39 / 47]
夏の風001さま:
昭和20年冬から30年ころまで日本に在住していた台湾人が日本からあわてて台湾に帰国してゆきました。特に昭和21年から27年くらいまで、日本の経済が悪く食料事情も悪九手台湾の経済のよりよい情勢と戦勝国になった勢いも加勢して凱旋気分で中華の支配する最悪の反日の坩堝に飛び込み
ました。戦後初めて人気絶頂の歌謡は並木路子さん尾「りんごの歌」であかるい気分にしてくれました。戦後の国語世代が持って帰ったのですよ。同じ時期の「上海の花売り娘」もリズムが会って台湾で歌ったのでしょうね。蒋介石でもこの歌謡の雰囲気を操作することは出来なかったのですね。榎本健一さんは「えのけん」と申した戦前に台湾に行けず(部隊慰問の多忙で)戦後初めて台湾を訪問しました。その時は糖尿病の原因で片足になっていました。

Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2012/11/07 23:45 投稿番号: [38 / 47]
ごめんなさい。この歌、全然印象がないです。台湾に入ってきていないからでしょう?

Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2012/11/07 23:42 投稿番号: [37 / 47]
岡晴夫サンが歌った「上海の花売り娘」戦時中、どこで覚えたか、私は、そのときから歌えます。今でも好きな歌です。

蒋介石が台湾へのめりこんでからは、日本語は,禁制になっていたので、その後の歌は、台湾にはいってきていません。

並木路子サンは、台湾からの引揚者の関係でしょうか、彼女の歌は台湾で大変に喜ばれておりました。

Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: pinglong1 投稿日時: 2012/11/07 12:20 投稿番号: [36 / 47]
   「万朶の櫻」と言う歌は

   行進の時に歌いますが

   どう言う時に歌うんですか?

   実際に聞いた事ありますか?

   戦後はメーデーの時によく聞きましたが

   労働者の歌に・・哀しいですね。

Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/11/07 09:42 投稿番号: [35 / 47]
natsunokaze001様:戦前から戦後にかけて並木路子さんが歌った「りんごの歌」と同じ時期に、リーゼントスタイルのポマードで髪を整えた岡晴夫さんが登場しました。戦前の歌で有名なのは「上海の花売り娘」でありました。小学生当時は音楽が一番嫌いな科目だったそうです。インドネシヤ領地で戦時中
病気に(マラリヤ?)係り、内地送還で一命を拾いました。「東京の花売り娘」、と大ヒットした「啼くな小鳩よ」と「憧れのハワイ航路」で空前のハワイを観光地に仕上げたものでした。地方興行を優先させた彼は紅白歌合戦に一度も出ていないそうです。断った初めての歌手かな?課長さんの月給が200円の時、彼は一度の出演で1万円であまたの招待要請が来たそうです。
蒋介石台湾総統がもう少し日本文化に鷹揚に対処したなら、この空前のヒット曲となった「啼くな小鳩よ」も台北から高雄まで広がった歌謡であったかもしれません。再三の病の後で復活した岡晴夫さんは最後の希望は予定された大阪万博での舞台でしたが、1月前に亡くなりました。坂本九ちゃんが代理を勤めて謡いました。70歳以上の世代ならだれでも知っている曲ですね。
ウイキペデヤ参照。

Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/11/07 06:03 投稿番号: [34 / 47]
natsunokaze001様:戦前から戦後にかけて並木路子さんが歌った「りんごの歌」と同じ時期に、リーゼントスタイルのポマードで髪を整えた岡晴夫さんが登場しました。戦前の歌で有名なのは「上海の花売り娘」でありました。小学生当時は音楽が一番嫌いな科目だったそうです。インドネシヤ領地で戦時中
病気に(マラリヤ?)係り、内地送還で一命を拾いました。「東京の花売り娘」、と大ヒットした「啼くな小鳩よ」と「憧れのハワイ航路」で空前のハワイを観光地に仕上げたものでした。地方興行を優先させた彼は紅白歌合戦に一度も出ていないそうです。断った初めての歌手かな?課長さんの月給が200円の時、彼は一度の出演で1万円であまたの招待要請が来たそうです。
蒋介石台湾総統がもう少し日本文化に鷹揚に対処したなら、この空前のヒット曲となった「啼くな小鳩よ」も台北から高雄まで広がった歌謡であったかもしれません。再三の病の後で復活した岡晴夫さんは最後の希望は予定された大阪万博での舞台でしたが、1月前に亡くなりました。坂本九ちゃんが代理を勤めて謡いました。70歳以上の世代ならだれでも知っている曲ですね。
ウイキペデヤ参照。

Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2012/11/05 22:55 投稿番号: [33 / 47]
小学時代に覚えた軍歌、今でも鮮明に記憶しています。たまに一人で歌いながら、楽しんでいます。

軍歌はわたしたちの世代に生まれたもので、私たちの世代で消えてしまうものですね。こう、考えると、さびしい気持ちになります。

Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/11/01 11:55 投稿番号: [32 / 47]
natunokaze001様:さて戦時中の軍歌を覚えていますか?

軍歌は大体歌う歌手が元気いっぱいですが、鶴田浩二さんが歌う軍歌は

ものうげで悲哀感がでていて風変わりでありました。片方(左の)耳がやや

遠いのか左手で左耳をカバーしてうたうのです。ユニークな格好でした。

ラバウル航空隊とか特攻の軍歌がおおかったですね。ハワイで岸恵子さんと

共演していたとき、突然岸恵子さんはハワイから逃げる様にしてフランスに

行き仏人の監督と急に結婚してしまいました。悲嘆と失望に(?)暮れた

鶴田さんはその後一般の女性と結ばれて軍歌から仁義の芸域に出演してゆきました。

当時何故岸恵子さんは鶴田さんと結婚しなかったのかと、夜同僚の先生たち

と論議したものです。

Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2012/11/01 00:49 投稿番号: [31 / 47]
UP

Re: 夕陽の波止場

投稿者: pinglong1 投稿日時: 2012/10/29 11:07 投稿番号: [30 / 47]
   横から失礼します。

   山本富士子は昭和50年に

   「ミス日本」に選ばれています。

Re: 懐かしいカラオケ〜〜〜

投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2012/10/29 01:33 投稿番号: [29 / 47]
UP

Re: 夕陽の波止場

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/10/26 12:56 投稿番号: [28 / 47]
fou**int様:
私がCA.に来た頃はAndy Williamsがあまい声でうたっていました。その後、エデンの東の映画が出て、Monterey の湾がきれいなのに感嘆しました。
直ぐ隣の町がSalinasといいまして、種の銀座といわれて農業の中心地で駅から野菜を積んだ列車が東へ輸送していました。ここも映画に出た場所です。Elbis Preslyがハワイ公演をしましたね。次にPaul Ankaとゆうカナダ出身の
歌手がでてきました。人気絶大な歌手で中年婦人たちを沸かせたものです。
そして80年代にJohn DenverとゆうColorado 出身の歌手がMonterey Bayで初の自分のじか飛行機の試しで失速を起こして墜落、その残骸をみました。Doris Dayですか、ケセラ・セラは彼女の歌う曲でしたね。まるで十代女性の
声に聞こえましたね。山本富士子さんは古風な役もできる雰囲気がありました。当時は女性は八頭身女性が全ての流行でしたが。伊藤絹子さん(ミスワールド)みたいないFiguresを狙っていたものですね。

Re: 夕陽の波止場

投稿者: fouquint 投稿日時: 2012/10/23 14:10 投稿番号: [27 / 47]
nachitakao様
小畑実がそのラスベガスでjack potで大金を当てたという話は知りませんでした。
小畑実というと、何と言っても「湯島の白梅」でしょうね。私もこの歌は大好きでカラオケでよく歌います。戦後「婦系図」という映画が作られたので、台湾でも人気があります。主演は山本富士子。彼女は美人女優の代名詞で、長らく女王の座に君臨していたのではないでしょうか。

話が変わりますが、ハワイの歌というと、私はまずエルビス・プレスリーの「ブルーハワイ」を思い起こします。高校時代にクラスメートがLPレコードをくれたのです。プレスリーというと、「監獄ロック」などの派手なロック歌手というイメージですが、こういうスロー・バラードもなかなか聞かせてくれます。今でもそのレコードは持っています。
日本人なら、バッキー白片とかが有名ですが、私の世代としては日野てる子の「夏の日の想い出」などが懐かしいです。黒髪に一輪の花を飾り、やるせなく歌う姿に見とれました。

Re: 夕陽の波止場

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/10/21 02:54 投稿番号: [26 / 47]
fou**int様:
田端義夫となると「かえり船」を聞いていますと、台湾からの引き揚げ船を
思いだすのです。あの古いギターは色褪せて義夫さんにとっては大きすぎた印象です。その頃、小畑さんがラスベガスでjack potで大金を当てた話題が
広がりました。小畑さんの名をわすれました。

Re: 夕陽の波止場

投稿者: fouquint 投稿日時: 2012/10/19 20:50 投稿番号: [25 / 47]
nachitakao様
灰田勝彦の「ハワイ航路」はあまり覚えていませんが、船員風の真白な衣装は記憶にあります。ちょっと藤山一郎の声に似ていて、鼻にかかるソフトな歌声でしたよね。
鶴田浩二はこれまた好男子な歌手で、私が覚えている歌としてはやはり「好きだった」でしょうか。私の母が文字通り「好きだった」歌です(笑)。
この二人の歌手は優等生組ではないでしょうか。もう少し泥臭い歌手として田端義夫が思い出されます。あの「オッス」と壇上から聴衆に掛け声を掛け、大きなギターの弾き語りで歌った「大利根月夜」、「かえり船」、「島育ち」等々。「歌は世につれ、人につれ」ですね。

Re: 夕陽の波止場

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/10/18 08:30 投稿番号: [24 / 47]
fou**int様:
ハワイ航路を歌うとき、灰田勝彦さんは真白な衣装で登場してハワイを
想像させてくれました。背景は、真青な空でしたね。少し陽に焼けた顔
からハワイ航路の客船の船長のイメージが湧き出ていました。いつの日か
このハワイとゆう島にいってみたいと想像した中学生でしたね。大學から
派遣されて26歳のとき、立川空港からフライングタイガーで送っても
らった1959年2月、オアフ空港の手前40分位前から突然機内に響いた音楽がハワイアンソングでした。
その後人気絶頂の鶴田浩二さんが颯爽と登場しました。学徒出身の特攻隊員ではなくて実は特攻機の地上整備兵だったそうです。気持ちは特攻隊員の気持ち以上であったそうです。ですから、多くの当時の軍歌をうたいました。そして多大な援助と基金の贈呈を特攻隊員関係団体に贈ったそうです。また一番出場ギャラが高い歌手でありました。

花笠道中

投稿者: fouquint 投稿日時: 2012/10/17 20:54 投稿番号: [23 / 47]
子どものころ母に連れられて映画を見に行きました。もちろん三流映画館です。
タイトルは「花笠道中」。ストーリーなんか全然覚えていませんが、歌のほうだけは今でも脳の片隅に残っています。そう初めて聞いた美空ひばりの歌でした。
この歌は「台湾の美空ひばり」といわれる天才歌手陳芬蘭が8歳の時に台湾語でカバーしていますので、そちらも紹介しておきます。

美空ひばり「花笠道中」
http://www.youtube.com/watch?v=7lo7IkLTSx4

陳芬蘭「孤女的願望」
http://www.youtube.com/watch?v=H_2SID35nzM

Re: 夕陽の波止場

投稿者: fouquint 投稿日時: 2012/10/17 20:51 投稿番号: [22 / 47]
灰田勝彦は高峰三枝子らとともに戦前から活躍していて、戦後も活躍した所謂「終戦またぎの歌手」ですね。ほかには霧島昇、藤山一郎、岡晴夫、渡辺はま子などもいますが、いずれも私の親の世代の歌手たちなので、実はあまりよく知りません。
しかし昔テレビで見たのですが、灰田勝彦といえば、すらっとしたハンサムな紳士のイメージで、「煌く星座」をよくなつメロ番組などで歌っていた記憶があります。灰田勝彦はほかにも、ハワイやジャワなど太平洋の島々をテーマにした歌を多く歌っているようですが、戦時派なら、おそらくジーンと来る懐かしさを持っているのでしょうね。

Re: 夕陽の波止場

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/10/16 07:09 投稿番号: [21 / 47]
natunokaze001様:
昭和23年でしたか、和歌山の田舎にも随分アメリカ調が普及してきました。劇場の前で人だかりがあるので、待っている当時人気歌手の米生まれの日本育ちの灰田勝彦さんが真白なスーツで劇場の前でcatch ballをして
英語を話してくれました。米兵は見ていたが、二世ボーイは初めて見た次第。喧嘩ぽくて国旗、国歌にひとしお熱があつい愛国者でしたが、軍部は嫌いで4年も日支事変に引っ張られ、負傷しています。南方の歌がおおいですね。
「ハワイの花、ハワイ航路、マニラの街角で、バタビヤの夜は更けて、ジャワのマンゴ売り、アロハ・オエ、ハワイのセレナーデ」などがあります。
ハワイの二世ガールと結婚しています。
その他に「水色のスーツケース、煌く星座、新雪、森の小路、鈴懸けの路、
加藤隼戦闘隊、ラバウル航空隊」などをよく歌ったそうです。この人は戦後も有名でしたね。

Re: 夕陽の波止場

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2012/10/14 21:06 投稿番号: [20 / 47]
いじめを取り上げたのは、台湾引揚者は、台湾で一時生活した経験から、日本本場で、成長した人たちと違って、いじめは、そんなにひどくないのでは?という意味です。台湾でも、たまにいじめの話、耳に聞くけど、十代で命を絶っていくまではないみたいですね。

当時はやっていた歌曲では、「湖畔の宿」だけが、ちょっとできます。姉が
よく歌うので。ほかのは、あんまり知りません。

Re: 夕陽の波止場

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/10/14 15:54 投稿番号: [19 / 47]
natunokaze001様:
台湾引揚者へのいじめは田舎者扱いで「台湾産」とよばれました。同級に
3人いたので仲間意識で対処しました。馬鹿にしやがって、今に見ておれ、
と心底では覇気を感じましたね。
「湖畔の宿」を歌った高峰三枝子さんが「南の花嫁さん、お母さん」で馴染みになりました。台湾でこの「南の花嫁さん」を口笛で吹いたものです。
彼女の歌う歌で好きな歌謡に「古き日記のページには、涙の跡もそのままに、ーーー」で始まる曲がありました。曲名を忘れました。

Re: マドロスさんは海つばめ

投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2012/10/14 01:27 投稿番号: [18 / 47]
田代京子をありがとうございます。

マドロスさんは海つばめ

投稿者: fouquint 投稿日時: 2012/10/13 18:11 投稿番号: [17 / 47]
1950〜1960年代には、マドロス歌謡と呼べるような港での恋の歌が流行した。
及川三千代もその一人だったのだろう。藤島桓夫もそうだ。しかし最も有名なのはやはり港町横浜出身の歌姫美空ひばりだと思う。本当にどの歌も名曲名唱であり、日本のスタンダードになっている。あまりに曲が多いので、そのうち追々紹介したいということで、今回はややマイナーながらやはりマドロス歌謡の一翼を担った懐かしの歌手田代京子を紹介したい。歌は昭和38年のデビュー曲「マドロスさんは海つばめ」。腹の底から力強く歌う彼女の歌は本物志向です。

田代京子「マドロスさんは海つばめ」
http://www.youtube.com/watch?v=Ze_RU6g5Jjw

Re: 夕陽の波止場

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2012/10/12 22:39 投稿番号: [16 / 47]
タイワン引き上げ経験者は台湾での生活経験があるので、日本でそのまま育った人とは、また一段変わった思想体験をしているでしょう。

現によくマスコミが騒いでいる「いぢめ」台湾では、そんな頻繁でなく、そして、そんなにひどくはない感じがします。いじめられて10代で自殺して行くとは、胸が痛みます。

杉葉子さんは「青い山脈」で、知ったスターですが、大好きでした。きれいだけでなく、知的に満ちた顔が印象的ですね。

Re: 夕陽の波止場

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/10/12 13:54 投稿番号: [15 / 47]
natunokaze001様:
戦後の中学は新制中学と新制高校に改革されました。台湾からの引き揚げ生徒の私は旧制中学の2年生に偏入しました。3年終えて試験なしで新制高校
に同じ学校で同級生で進むことが出来ない仲間が6人いました。食べることが毎日の生活苦で進学できない仲間と一緒に教室で泣いたしだいです。校長に授業料無料と基金捻出をやりましたが、とうとう6人は離れてゆきました。今でも彼等の顔を忘れていません。なんて世間は不公平だと痛感したものです。台湾の国民学校で習慣ずけされた尊い仲間意識でありました。

間もなく杉葉子さんの「青い山脈」が登場しました。始めは橋幸夫についた
舟木一夫の名前で登場した青春歌謡の「高校三年生」がはやりました。
同時に、青春賛歌の浜田光夫と吉永小百合のコンビが活躍しましたね。
杉葉子さんとはロスのホテルニュー大谷でビジネスでお話ができました。

上を向いて歩こう

投稿者: tanpopotanntantann 投稿日時: 2012/10/11 12:46 投稿番号: [14 / 47]
http://www.youtube.com/watch?v=bbH754gScuk

坂本九

Re: このトピ

投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2012/10/10 00:57 投稿番号: [13 / 47]
できる限り、消えないように見守りたいですね。

Re: 夕陽の波止場

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2012/10/10 00:55 投稿番号: [12 / 47]
「上を向いて歩こう」はやってた当時、台湾でも、はやりました。下手な口笛でまねて、歌った、あの時代が懐かしいです。

このトピ

投稿者: tanpopotanntantann 投稿日時: 2012/10/09 12:30 投稿番号: [11 / 47]
消えてしまうことがありますね。    ><

Re: 夕陽の波止場

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/10/09 02:29 投稿番号: [10 / 47]
natunokaze001様:
1970年代には米国で流行った日本の歌は「Sukiyaki song]で有名となったきゅうちゃんの「上を向いて歩こう」であった。多くの店先から流れたこの歌は歌詞がわからずともリズムが愛されたのです。坂本九さんの歌は日本の歌曲の象徴でありました。娘さんがNorth Calorina州の田舎のホスト家で
まったく知らない日本文化の中、ただひとつ知っているのは「Sukiyaki song]だと話したら、この女性がその歌を歌っているのは「私の父なのです」と答えたそうです。奇遇ですね。70年代、遅れて流行ったかの有名な
うたでした。毎日店先から聞かされた曲でありました。

女の酒

投稿者: tanpopotanntantann 投稿日時: 2012/10/08 13:03 投稿番号: [9 / 47]
及川三千代


http://www.youtube.com/watch?v=38Whkl3LDb0

Re: 夕陽の波止場

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2012/10/06 23:02 投稿番号: [8 / 47]
はじめまして。トピ主です。よろしくお願いします。

かなり、日本歌謡曲に通じているつもりが、及川三千代さんの歌を耳にしたとき、震え上がるほど、魅了されました。

トピ、またおいでください。いろいろご指導してください。
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